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コミット度を決める素早い判断力がほしいのです。

「二足の草鞋を履く」という表現がある。自分が生業としている本業の他に、それと一見両立しないような別のことにも同時に取り組んでいることを表す言葉だ。

先日も書いたように、私は職場や過去の友人関係だけでなく、それ以外の複数のコミュニティに出入りして生活をしている。

このこと自体も、もしかしたら「複数の草鞋を履いている」状態とも言えるかもしれない。

ただ遊んでいるだけのものもあるが、コミュニティの性質によっては、何らかの社会的目標や意義を持って活動しているものもあるので、それが直接的に収入に結び付いているかどうかには関係なくそう言えそうだ。

こういう生き方をしていて、私が当面ぶつかっている壁の1つは、「各コミュニティの活動の面白さ、楽しさ、やりがい」などによって各コミュニティに対する自分の中でのやる気・コミット度に差が生まれ、それらに相対的順位づけがなされることにより、自ずと順位が下がってしまったコミュニティに対する情念のようなものが自分の体にまとわりつくことによる苦しみであるような気がしている。

自分の中で優先したいことを優先することは悪いことではないはずだし、それを踏まえて適切に時間や体力のバランスを取りながらそれぞれの活動に取り組んでいくこと自体は可能かもしれないが、私の個人的性質として、各コミュニティに対して変な責任感や使命感を持ってしまい、どんどんと自分の責任範囲を増やしてしまって、自分で勝手に苦しんでいるような気がするのだ。

本当はもっとスパッと「今は興味が無いからコミットしない」ということを選べれば気持ちよいのだけど、なぜかそれを素直に許さない自分の心の動きがある。

良い側面として捉えれば、それには他者への一定の配慮を生む、というメリットがある。なぜなら、コミットしないことを宣告されたコミュニティ側のメンバーにとって、私がコミットしない分の労力や負担を誰かが担わなければならなくなるだろうからだ。

しかし、実際にはおそらく、コミットするにしてもしないにしても、自分の立場をハッキリさせておくことの方が大事なのだろう。判断が早ければ、相手側もそれを受けて次の一手を打ちやすくなる。

このような素早い判断力を身に着けていけば、複数の草鞋を履いていたとしても、そのときどきでコミュニティとの適切な距離感をはかり、バランスを取りながら豊かな人生を生きていけるような気がするのだ。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。