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死んだらそれでおしまいなのです。

人間は死んだら一体どうなるか。

私の個人的な考えをシンプルにまとめるなら、「死んだらそれでおしまい」だ。

これを聞いて、非常にドライだと思う人もいるかもしれないし、客観的に見ると当たり前のことを書いているようにも見えるかもしれないがが、いろいろな思考の過程を経てこうなっているところがある。

現代においても人間社会に広く受け入れられている、キリスト教やイスラム教などの宗教の世界観においては、「最後の審判」や「聖戦」など、人間の死に関連する概念が多出する。

それは宗教というものが、平易に言えば「人やこの世界はどのようにして生まれたのか」「人はなぜ生きるのか」「人は死んだらどうなるのか」などの根源的な問いに対してある種の解を与えるものだからだ。

代表例としてキリスト教を取り上げると、キリスト教的世界観においては、人は原罪を持って生まれてきて、その罪を償いながら生きている。人が現世において死ぬと、それは無になるという意味ではなく、魂と肉体の分離が起きる。そして、その後の「最後の審判」の場において、楽園である天国に入れるか入れないか(救済されるか否か)が決まる。

私の冒頭の考えは、これとは異なるものだ。死んだ後に魂が分離することもなければ、イエス=キリストのような復活もない。「死んだらただそれでおしまい」なのだ。

生きていた間の記憶や経験も含め、何もかもがそのままこの世界から消え去って終わる。楽園のような天国も、恐ろしい地獄もない。

ただし、それはあくまで「自分にとっての記憶や経験」の話である。現世に残る他者にとっての私の記憶は残る可能性があるし、私の死後も何らかの影響を与える可能性もある。

とはいえ、私の意見としては、それでも「死んだらそれでおしまい」なのではないか、と思うのだ。死者は何らかの形で後世の人間に影響を与えうるし、それが多大な影響である場合もある(現在も語り継がれる偉人たちが良い例だ)が、普通の一般の人間であればそれも結局は一時のもので、その記憶を持っていた人間たちもいつかは死んでしまい、その記憶もこの世界からは消え去るだろう。

そのように考えると、この世界で人間が生きることにどれほどの意味があるのだろうか。

特に意味などない、というのが私の意見だ。しかしそれは悲しいことではなく、だからこそ人間の生が素晴らしいのだ。

こんなようなことは、前にも書いた気がする。結局私は似たようなことをいつも考えているのだ。


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