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テクノロジーは止まらないのです。

テクノロジーは止まらない。

これは人類社会において、もうそういうものだと受け入れるしかないのだろう。

テクノロジーが発展することは喜ばしいことであると考える人が多そうであることはわかっていながら、こういうある種ネガティブな書き方をしたのは、テクノロジーが発展することによって失われるものも多々あるのではないか、と私は思うからだ。

テクノロジーには必ず光の側面と影の側面がある。本来であれば、その影の側面に適切に目を配りながら光の側面を適切に享受する、という謙虚さがあって良いと思うのだが、さまざまな要因によってそういう形で新規のテクノロジーが実装されることは少ない気がしている。

1つには、多くの新規テクノロジーは、すでに存在する社会課題を解決するための夢のテクノロジーとして社会に提案されることから、その光の側面が強くアピールされるという特性がある。

また、未来を予測することの困難性から、その新規テクノロジーが社会に実装される前に、適切に社会に与える影響を分析して事前に対応することが本質的に難しいという特性もある。

そして近年の新規テクノロジーはその発展速度も著しく、仮に事前対応の検討ができたとしても、その対応がテクノロジーの発展に間に合わないという状況もある。

こうした状況の中でも、テクノロジーの影の側面において悲しい思いをする人々をなるべく少なくできるように、また、良かれと思って社会に実装された新規テクノロジーによる最大の後悔を最小化するために、できることをやっていかなければならないのである。

昨今のAIの発展は著しく、開発企業間ではお金と時間を大量に注ぎ込んだ競争(血の流れない戦争と言ってもいいかもしれない)が行われているだろう。

こうした競争は、今後激しくなる一方なのだろうか。

そのスピードとかけられるコストは指数関数的に上昇し、どこまで激化するのだろうか。

その発展がどこかで臨界点に到達し得るのだろうか。仮に臨界点に到達したとして、世界はどうなるのだろうか。

あるいは、そうなる前に何らかの方法でブレーキをかけることができるのだろうか。

安全を考える人間としては、そういう問題に向き合っていかなければならないのだと思う。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。