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前提を外して考えてみたのです。

「多様性の科学」という本を読んでいる。

現代社会のような複雑で変動性の大きい状況下において、適切な意思決定や課題解決を行う上では、人間集団内での「認知的多様性」が必要不可欠である、という内容だ。

認知的多様性とは、単に年齢や肌の色の違う人々や性的少数者も存在するような多様性ではなく、特定の問題について深い理解を持ちつつも、その前提とする背景知識や思考法が異なる人々が集まることによって構成される多様性のことだ。

実際にそのような多様性を持つ集団は、そうでない画一的な集団に比べて、問題解決の成果を上げる確率が有意に高いという研究結果が多数存在するらしい。

こうした集団をすぐにつくることができれば良いが、実際にはそんなに簡単なことではない。

そんな中で、認知的多様性の成果を少しでも享受するために今すぐにでもできる方法の1つが、「必要と思われている前提を1つ外して考えてみる」ということだ。

本書の例として紹介されていたもので言えば、例えば「タクシー会社が、もしタクシーを持っていなかったら?」と考えるのだ。これにはUberという実例がある。

同様のことを、恐縮ながら私の専門であるリスク学の分野で考えてみたい。

ある工学システムを対象にリスク分析・アセスメントを実施する際には、その対象システムの何らかの「モデル」が必要になる。

具体例で言うと、例えば石油化学系のプロセスであれば、各種設計に用いられる図面や使用される各機器の仕様を丁寧に確認した上で、対象システムを特定の切り口で抽象化した「プロセスモデル」(多くの場合はPFDやP&IDが該当する)を構築し、そのモデルに対してリスク分析の具体的な手順を適用していくことになる。

ではここで、もし「リスク分析にはモデルが必要である」という前提を外したらどうなるか?「モデルを必要としないリスク分析」「モデルが無くても可能なリスク分析」とは一体どういうものだろうか。

例えば、システムの物理的構造や実体を持つものを対象としたモデルが使えないとなると、残されるシステムの特徴としては、それが「どんな機能を持っているか」ということになるかもしれない。

石油化学系のプロセスの例で言えば、具体的にどんな配管や機器を使ったどんな構造のプロセスかがわからなくても、少なくとも「原料物質を投入し、目的とする化学製品を製造する」という機能を果たすことを求められていること自体は明らかである。

そういう意味で、この「機能」を上手く使って可能なリスク分析を考える、ということができるかもしれない。

他にもシステムの特徴の抜き出し方としてバリエーションがある可能性もあるが、こうして前提を取り払って考えることが、認知的多様性を獲得するための1つのアプローチになり得るのだ。

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