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やるかやらないかは自らの意思で判断する必要があるのです。

私が他者から何らかの依頼を受けて動くとき、その行動のエネルギーの源泉は、その依頼を達成するための使命感や責任感からくるものであることが多い。

こうした使命感や責任感は、周りの人間からは重宝されやすいという特性がある。なぜなら、ある人の脳内に他者に頼みたい仕事が発生したとき、その仕事の内容を伝える前の時点で最も理解しているのは自分だから、誰にも頼まず自分がやった方が早い、という場合も大いにあると共に、誰かに頼むにしても、それが自分の納得する成果物の形で返ってこない可能性もあるからである。その点、使命感や責任感を持って仕事に取り組んでくれる人間は、比較的高いパフォーマンスを発揮して成果物を返してくる確率が高い。

そういう信頼を得ることができた人間には、次々と仕事が集まる。仕事ができる人にほど、使命感や責任感を持っている人にほどよりたくさん仕事が集まってくるのはそのためである。

しかしながら、そういう使命感や責任感だけを持っている人間は、実は危険性をも孕んでいる。

それは、いわゆる「アイヒマン問題」が起こり得るからだ。

アイヒマンとは、ヒトラー政権下のドイツにおいて、ホロコーストを粛々と遂行したことで知られる人物である。しかし彼の素性は極悪人という表現からは程遠い、どこにでもいるような普通の人物であった、という調査結果がある。

ホロコーストについての考察をを通してこの問題を分析したことでも有名な哲学者ハンナ・アーレントは、このように仮に本人に全く悪気が無い状態での悪というものがこの世界に存在することについて、どのように説明するべきかを問うた。

私が言いたいことは、こうした使命感や責任感を持った人間は、確かにいわゆる「仕事ができる」人間ではあるが、その使い方を間違えるとあらぬ方向に向かっていく可能性もある、ということだ。

これを避けるためには、やはりその使命感や責任感を持った人間も、どのような仕事は受け入れて実行し、どのような仕事は倫理的観点から踏み留まるべきなのか、などということについて、自らの意思で判断できなければならないのだ。

私は自分のことを、どちらかというと「他者の希望や願いに沿って、それが実現できるように動く」という性質の強い人間ではあると思っている。この性質を活かした生き方をすることは大変素晴らしいことだ、と思うところもある。

しかし、それはあくまでも無批判にではなく、それを実行した結果、私自身に、仕事の依頼者自身に、または周囲や社会に対してどのような影響があるかについて深く考慮した上で、自らの意思と倫理観のもとに、実行するかしないかを判断することが重要なのだ、ということを常に心がけたいと思っている。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。