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個人的経験のアウトプットが価値を持つかもしれないのです。

著しい情報化社会から高度情報社会を迎えつつある昨今、単なる知識や情報の価値は相対的に下がっていると言われる。

つまり、「単に何かを知っている」ということ自体には大きな価値は無く、むしろそのような知識や情報をいかに有機的に結びつけ、意味のある情報として整理・理解するかどうかが重要になっている。

また、そうした多量の情報に飲まれずに自律的に生きていくためには、多量の情報の中からどういう種類の情報は相対的に価値が高いのかを知り、判定・取捨選択する力も重要になるだろう。

では、現代において相対的に価値が高い情報とは一体どんな情報なのだろうか。

1つは前述の通り、単なる知識や情報たちを何らかの形で有機的に結び付け、別の新たな意味が生み出されているような情報だろう。その意味を、自分なりに新たに生成できればなおのこと良い。

そしてもう1つは、極度に個人の経験に依存した情報だ。世の中で自分だけしか知り得ない情報に価値があるとすれば、自分という人間が実際に心と身体を使って経験し感じたことから得た情報には価値がある可能性がある。

ただしそれは、誰でもできるような一般化された対象や取り組み方ではなく、自分オリジナルの対象、オリジナルな取り組み方、オリジナルのまとめ方である必要はありそうだ。

そういう意味では、このnoteももしかしたら価値を持つ可能性はある。私の個人的経験をただつらつらと書いているだけだが、それが本当に独自の視点や独自の書かれ方でまとまっているならば、この世に1つしかない情報となり得る。

とはいえ、それを突き詰めることは結構大変なことだ。いつか私が書いているこの文章が何らかのオリジナル性により価値を持つことがあるならば、それは望外の喜びだ。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。