今の生き方が実現できていることに感謝したいのです。
先日私は「自分のエネルギーをどこに振り向けていいのかがよくわからない」と書いたが、その一方で、自分の人生の時間をいろいろな物事に使っている感覚はある。
まずは、本業であるところの研究活動だ。大学に研究員として勤めながら、研究プロジェクトの実務をこなし(論文化をサボっているという側面は否めないが)、本来は仕事ではないが関連研究に取り組む学生の指導もしたりしている。関連して、最近は大学と連携するNPOの会員としても活動していて、これまでの自分の研究ターゲットとは少し異なる対象を題材にして、他の会員と共に定期MTGで議論したりしている。
その傍らで、いくつかのコミュニティに所属してなんだかんだといろいろな取組をしている。
1つ目は、私の地元の居住地域の子育てコミュニティの活動だ。舞台鑑賞やキャンプなどの集団活動を通して子どもたちの健全な成長をはかるのが目的で、その中で私は社会人青年として子どもたちや若手の青年たちの成長支援に関わると共に、主要な活動の運営中心として具体的な活動の中身を作ったりしている。
2つ目は、何度かnote記事にも書いている「探究横丁オンライン」というオンラインコミュニティの運営だ。探究を愛する子どもから大人までが集まっているコミュニティで、メンバーどうしが連携を強めながら探究を楽しんだり、新しいプロジェクトを立てて外部発信したりしている。その中で私は運営メンバーの1人として、コミュニティプラットフォームとして利用しているDiscordの管理や、各種プロジェクトの支援などをしている。
3つ目は、また別のとあるオンラインコミュニティに所属している。こちらは自分としてはほぼ遊びに近くて、歌ったりピアノを弾いたり、オフ会に参加してコミュニケーションを取ったり、このコミュニティ外では恥ずかしくてあまりできなそうなこともやれてしまうので、普段と全然違う自分の一面を出すことができて結構楽しい。
今現在の私の時間はほぼこれらのうちのどれかの取組に使われている。
誰かにこういう話をすると、「忙しそうだね」とか「忙しいでしょ」と言われることが多いが、自分の心情的にはそこまで忙しくはない。
確かに上記のどれも、「やれるならどこまででもやることが求められる」「やろうと思えばどこまででもやれてしまう」取組がほとんどなのだが、だからこそ、これは「自分の時間を、どの活動にどれだけ使っていくか、自分の意思で決めることができる」ことを意味しているのだと書きながら気づいた。どの取組も、強制的な義務感がないからこそ、心的忙しさを感じることなく生きることができているのだろう。
とはいえ、自分の本業であるところの研究が、本来は進めなければならない範囲以上に主体的に進めていくことが求められているところに対して、そういう上乗せが特にできていないところもあるので、あまり大っぴらにこういうことは言えないのだが、自分としては本当にありがたい生き方をさせてもらっている、と思えてきた。
ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。