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「あなたがいるから頑張れる」と言われたいのです。

さて、投稿ハードルを下げたいと言っていながら更新が少し空いてしまった。

note投稿を休んでいる間もいろいろと考えたことを短いメモにはしてあったので、当面はそれを少しずつまとまった文章にしていくところから始まりそうだ。

私は自分のことを、勝負を好かない人間だと思って生きてきた。自分の人間性を語る上でのキーワードの1つは「調和」であるし、暴力的な勝負事はなおさら好きではない。自分がその渦中に入ることも嫌だし、見ているのもあまり良い気はしない。勝負事に積極的に向かっていく性質を持つ人々がいるということは知っているが、私個人としてはそちらに全然気持ちが向かないし、共感もできない。

ただ、全く闘っていないかと言われたら、そうでもない気もしている。それは、誰か他者に対して闘っているのではなく、自分自身の内面との闘いとか、何かの社会課題に対して問題意識を持ち、それを解決するための闘いとか、そういう種類の闘いなような気がするのだ。

この感覚を表現するなら、「勝ちたい」という気持ちよりも「負けたくない」という気持ちに近いかもしれない。

しかし、「負けたくない」という言葉に言い換えると、他者との勝負の感覚としてもうっすらながら馴染むところがあって、例えば相手に言い負かされたくないとか、論破されたくないとか(そうなったら恥ずかしいとか?)、そういう感覚は闘いを好まない自分にも内在しそうだ。

こうした種類の闘いをしている自分に対して、もし誰かから何か言ってほしいとしたらどんな言葉をかけてほしいだろうか、とも考えた。

もし「頑張って」「負けないで」と言われたらどうか?

嬉しい気持ちがあるかと思ったが、特段やる気は出ないと思った。それはそれでプレッシャーを感じる気がする。やはり私の志向性は、自分が積極的に何かと闘うよりも、誰か別の闘っている人、ひたむきに頑張っている人に対して、その人を応援したりサポートしたり、その人が苦手なところを補うような存在でいることに向かっている気がする。

それは仕事のパートナーでも、人生のパートナーにおいてもそうかもしれない。自分が精神的支柱として誰かに必要とされている感覚を得られることに、幸福感を得るのかもしれない。「自分の闘いを応援してほしい」と思う人は結構いそう(特に男性には多そう、と勝手に思う)だが、私の体にはあまり馴染まない。

もしも、今後出会うかもしれない人生のパートナーに言ってもらうならば、「いつもありがとう。あなたがいるから頑張れる」と言われる方が何倍も嬉しい気がする。

私の場合は、自分自身を支えてくれるような人よりも、何かやりたいことがあってひたむきに頑張っているような人をパートナーにした方が人生の幸福度が高まるだろうな、と思っているのである。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。