見出し画像

心のザワザワも受け入れていきたいのです。

私は他者に何か指摘をされたり、そうでないにしても何か否定的な言動や行動を感じとると、結構心がザワザワするタイプの方の人間なのだと思う。

いわゆる「繊細さん」と言われるタイプに近いのかもしれない。

しかし、周りからはあまりそうは見られていないと思う。

よく「動じないよね」と言われたりもするし、自分としてそういう瞬間もあることにはあるが、それはおそらく本当に動じていないのではなく、実際は動じている。動じているところがありつつも、それを周りに見せるほどわかりやすくは反応していないだけだろう。

それが可能なのは、そうした心の反応を強烈な理性の力で抑え込むか、もしくは自分の中で適切な説明のつく論理を瞬時につくり上げることで、周囲の言動や行動の矢が自分に直接向かないように方向性を変える工夫しているからだ。

しかし、そういうクセが着いてしまうと、自分の感情に正直になる、ということが実は難しくなる。この心がザワザワする感覚も、うまく言語化はできないが自分の立派な感情の1つではあるはずなのだ。

なぜこんなに心がザワザワするのか?別に他者から何か否定的な言動や行動を感じ取ったからといって、その人に完全に嫌われるかどうかまではわからないし、本来は多少嫌われたっていいのかもしれない。何に対してザワザワしているのだろうか。

それは、「自分が既に自覚している至らない部分」を指摘されたという感覚が強く、それが露呈することがよくないことであるという思いがあるからではないか。

私はおそらく、自分がまだ全く気付いていない自分のクセや行動習慣を指摘されることについては、そこまで抵抗が無い気がする。むしろ「発見・気付きを頂いてありがとう」と言いたくなる感じだ。

一方で、自分が既に自覚している至らない部分を指摘された場合は、それを知っていながらにして改善できていないという点で罪悪感のようなものを感じて、心が苦しくなるのかもしれない。

しかしながら、ここには「そういう指摘されるようなダメな部分があるのは恥ずかしいことだ、いけないことだ」という先入観や無意識の反射的な思考がある気がする。

人間なのだから、そういうダメなところがあってもいいじゃないか。むしろそれこそが人間らしさなのではないか。

それでもし一部の層に嫌われるなら仕方がないことだ。万人に好かれる存在でいる必要はない。自分がありのままの自分で、自分らしくいられることの方が大事だ。

それこそが私らしい私なのだ、そういう欠点があるからこそ、こういう強みがあって、それを活かしてここまで死なずに生きてきたのだ、と堂々としていればいいのだろう。


ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。