大学研究室での教育は報われにくいのです。
私のようなぺーぺーの大学研究員の立場で言えることでは全くないのだが、研究を通した大学教育ってなかなか報われにくいよなぁと思ったりする。
理工系の学科の場合、多くの学生は学部3年・4年次あたりにいわゆる研究室やゼミに所属して卒業研究に取り組み、卒業論文を書いた上で就職するか、修士課程に進む。そして、修士課程の2年間でまた修士論文を書いて、その多くは就職していく。
学生の立場からすれば至極当たり前のことなのだが、大学教員の立場からすると、ある意味では、せっかく数年間かけて育てたとしても、ほぼ確実に自分の元を離れていってしまう学生に対して、どの程度教育的にコミットするのかは、かなりスタンスが分かれそうだと思う。
熱意を持って教育に取り組むという意思を固く持てば、たとえ成果が出るまでに時間はかかったとしても学生にしっかりと考えさせるスタンスを取ることもできるし、一方では初めから「あれこれやりなさい」という形で仕事的に作業を与え、とりあえず卒論・修論的な形になるように仕立ててさっさと卒業させるスタンスも取り得てしまう。
企業内での社員教育を考えた場合はもう少し長い時間スケールで取り組めるかもしれない(とはいえ最近は若い世代の離職が相次いでいる側面もあるから必ずしもそうとはいえないだろう)が、大学の場合は博士課程へ進学する学生を除けば、どんなに素質があると認められる学生だとしても確実に研究室を去ることになる。
科学研究というものは、それをまともに実施できるようになるまでに長い時間がかかるものだ。これは自分自身の経験としても、他の学生を見ていても思うことだ。
ハッキリ言って、学部生が初めて研究というものに取り組んでからたった1年間研究にフルコミットしただけでは、大した成果など出せない。修士課程まで進み、3年間をかけてやっと自分自身の研究テーマの本質や、自分が行ってきた研究アプローチの価値に気づいて、その分野に対する理解が深まっていくものだ。
大学教員の立場からすれば、修士2年頃になってやっとこちらの話が通じるようになってきて、さぁここからひと踏ん張りすればしっかりした成果を出せるようになるぞ、というギリギリのタイミングでちょうど就職を迎えるわけである。
だから、大学教員にとっては優秀な部下を長期間にわたって大事に育てるのは難しく、いつまでも仕事は楽にならずできることも増えないのではないか、と思えてしまう。
しかし、本来の教育の目的は、大学教員すなわち指導する側が単に楽になるためではないのだ。科学研究というものへの取組そのものを通して、その学生にとって最も学びになるような形で支援をしたり、自分自身の力で科学的思考を進めていけるようにすることが、本来の目的であるべきなのだ。
それを実現するために必要なマインドセットとしては、人間の成長そのものを喜びとした上で、それこそがライフワークであると捉えることかもしれない。
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