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帰りたくなるまで帰らない

最近はできれば毎日5キロ歩くようにしている。会社に行く日は1,2駅分を歩けば行き帰りで達成できる。
家にいる日は夕方頃近くの川沿いへ歩きに出る。
引っ越してきてまだ1年弱だけど、この場所がすっかり気に入っているのはこの川の存在が本当に大きい。空も草木も毎月色を変えるし、匂いも来るたびに新しいものになっている感じがして、今のところ全く飽きる気配がない。

好きな音楽とかラジオを聴きながら歩くのが楽しいし、考え事をしていても歩きながらだと自然と思考が前向きになる。あっという間の約1時間の道程だ。
それどころか最近は、規定の5キロを歩き終わっても「家に帰りたくない」と毎回やんわり思うほどになってしまった。

「帰りたくない」と思うのは、好きなことだけに没頭できる時間が終わって家での日常の暮らし、作業に戻ることを億劫に感じるから。今は幸い仕事もその他でも特に大きな問題は抱えていなくて平穏に生きているけど、そういう次元じゃなくて「生活をすること」そのものが面倒に思うのだ。
適切にお金を使って、身なりをきれいにして、食べるものを手配して、仕事のために睡眠時間を確保して、とかそういったすべてに対して。

そう思う日が続いたから今日は、もう帰りたいってなるまで思う存分河川敷にいることに決めた。

図書館で借りた本と飲み物を持ってお昼過ぎに川沿いに着き、土手の芝生になった斜面に座る。本を読む前にしばらく、河川敷にいる様々な人たちを眺める。
視界に入るだけでも5面の野球場があって、すべてが少年野球で埋まっている。川ぞりで遊ぶ親子、犬と遊ぶ大人、動画を流しながらエクササイズする夫婦、ジョギングとサイクリングの往来。スケボーだけじゃなくてローラースケートで通る人もいたのに驚いた。

この場所が好きな理由の一つに、ここにいる人はみんな幸せな時間を過ごしてるんだなって感じられることがある。(もしかしたら嫌々少年野球に参加しているこども/大人もいるかもしれないけれど)
今日1番印象的だったのは、芝生に寝転んでお腹の上小さくてフワフワの猫を乗せてにこにこしているおじさん。

斜面になっているところに座って本を読むなんて初めてだったから、いまいち居心地よい体制の取り方がわからなかったし、寝っ転がる勇気は初回では出せなかった。近くででんぐり返しをしていた小さい女の子が羨ましかった。

ずっと同じ場所に座っている間、たくさんの人が河川敷に来て、いなくなった。時間が経つにつれ野球の練習も1箇所ずつ終わって、それぞれ帰っていった。自転車でここまできている人が多くて、どれくらいの範囲からみんながここへ通っているのか知りたくなった。

持ってきた本も読み終わって、体制を崩してまたぼんやりする。通勤時など普段シャッフル再生で音楽を聴くときは、ピンとくる曲がくるまで何度もスキップすることが多いけれど、この時はイヤホンから流れてくる音楽がどれもしっくりくる気がしてなんでも聴いた。

日が落ちてきて寒くなってきたから、そろそろ帰ってもいいかなと思ったのが17時前。目標達成したぞと満足して一度家に帰り、着替えて今度は日課の5キロウォークのためにまた同じ川沿いに出戻った。異なる装いでも、川にはさっきまでずっといた奴だとバレていただろうか。

5キロが終わったら、結局いつもの帰りたくない気持ちがやってきた。ディズニーランドからの帰り際に毎回泣き喚いていた子どもの頃の自分の面影をこの歳になってもはっきり感じて可笑しくなった。きっと当時から大して成長してないんだろうと思いながら、仕方なく生活に戻りに家に帰った。




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