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好きな詩人 ジョン・アッシュベリー

 難解で知られる現代アメリカを代表する詩人、ジョンアッシュベリー(1927~2017)。彼の詩の多くは、実験的でありながら伝統も自由に取り入れ、ひとつの作品に古語・口語・解説口調など多様な文体、あるいは話者が次々出現し、叙情的かと思えば哲学的、かと思えばナンセンス、何かについて語っていると思わせてすぐ別の話題になる、題名は内容にあまり関係がなく、結末も唐突だったり曖昧だったりでむしろ断定こそ避けられている。
 初めてアッシュベリーの翻訳詩集を読んだとき、難解のようなよく分かるような、つまらないような面白いような、今だかつてない複雑な読書体験をした。その謎を探るべくアッシュベリーに関する本を読み、何となくだが、作者の言いたいことやテーマではなく、読んでいる瞬間瞬間が楽しかったり心が動いたりすることが、彼の詩の方法なのだと分かった(それ以外にも多分色々ある)。それは音楽を聴く体験とよく似ている。アッシュベリーは音楽よろしく読者を詩の最後まで連れて行くために、音楽的配慮、メリハリ、音韻や叙情的表現などの詩的技巧を密かに凝らしている。詩を、奥に秘められた意味ではなく、ただ言葉でできた「何か」のように書く方法もあるのだとはじめて知っり、とても嬉しくなった。(それは私の好きなナビ派の画家モーリス・ドニの言っている「絵は何かが描いてあるかよりまず、一定の秩序を持って色で覆われた平面である」という考えに通づるものがあると思う。つまり、絵は、テーマは何かというより、色の共演を楽しむものである。)たまに、原文を翻訳ソフトを使いながら読んでみるが、だいたいが、書いている方法が全くわからない、何度読んでも初めて読むような感じに襲われる、常に新しく消化不良を起こす謎多き詩である。彼について書かれている書籍は私が知る限りでは飯野友幸『ジョン・アッシュベリー「可能性への賛歌」の詩』(研究社・2005)と川本皓嗣『アメリカの詩を読む』(岩波書店・1998)の「補講」の一部、詩集は佐藤紘彰 訳『波ひとつ』(書肆山田・1991)と大岡信・飯野友幸 訳の『ジョン・アッシュベリー詩集』(思潮社・1993)のみである。さらに多くの翻訳詩集や解説書が出されることを切に願う。

おまけ

氏は「詩は絵と同じで『意味のある陳述』などは目的としない」「ひとつの音楽作品のように最後まで聴かせ(読ませ)納得させてしまうような詩を書く」(大岡信・飯野友幸 訳の『ジョン・アッシュベリー詩集』(思潮社・1993)p182より抜粋)と言っている。その考えに共感して書いた詩を以下に置きます。


  ベリー

君の口から出る言葉は意味不明なのにもっともらしくずっと喋っている
何を?何かを
視点の自在さと大陸的なエモいよね
まるでぱっとしない空気をすり抜けて彼が教室を出るタイミングで出席番号は
かつての乙女たちの眉目秀麗さを際立たせる密かな装置、降りしきる桜の花びらにのせていく校歌は山と川とがふんだんに盛り込まれ時は流れ

こんなことはとても人間には実現できそうもない、彼らもそう思っていて道はやがて新緑の草が揺れに揺れて君は白昼夢のほとり
ほどなく見えなくなってでもそれは数ある不思議な道具のうちのひとつだってボルヘスは言ってたからとひとりごちた午後のミルク色した
日だまり紅茶セットの中テニスコートの誓いが
飛び込む
わけはないけど充分注意が不可欠なのである

彼らがよく知っている歌はひとつの大陸の歌ではなく三つの花の名前を同時に言うようなものであり
韻を踏みこがし焼き絵となり床に穴があいたまま傘に雨が続くとしめっぽい秋の始まり
リズミカルに風邪をひくのはハイイロネズミのこだわり

急に愛だなんて言うからびっくりするね銀色の霜月は麗しく狂おしくビター&スウィート
影の列車で着いて連れだって波うち際へ行くんだって、
いいよ、でも、どこにある?
私たちはやっと私たちが私たちのことを知っていると思っているほどには知らないということを知って落ち着ける私たちの凸面鏡の国ができ
フローチャートもふらふらになりもう君たちをさらったりはしないよとささやく薫風に乗り
京都の中庭へごめんくださいまし

聞こえるかい、くだんのアヒルは黄色いくちばしで何かを運んでくる、目をかっと見開いて君へと真っ直ぐトラックにはばまれもする
陽のあたる香りたかいベリーの木々の下雲が流れ飛行機はゴーというし
パーティーの楽しい会話品評会
哲学者が恥ずかしそうにもじもじしていて腕を組んでくるのは筋骨隆々の若者でどうすれば上手にプロポーズできるのか聞いてくるのに誰も見てくれない

屋形船で花火を見たかしら?ホテル・ロートレアモンに逃げ込まどう不眠の少女たちは何処へ?屋上のヘリポートからゴムボートへ今、
すぐに
いや、そうでもない

でもつまりどういうことかというと無音の伝言ゲームでいらいらされたとしても
あなたの名前はここにあるし、星は輝いているし、
愛は等しく振りまかれるものであって
頭じゃなく感覚を信じれば彼らも助かるし
詩のことも書いてあるので全てが、というわけではない、
という結論に至った

<二〇一七年に永眠した詩人ジョン・アッシュベリー氏に敬意を表して。多くの詩集の書名を引用・抜粋した。>

(初出 同人誌詩「反射熱 12号」)

似顔絵にてなくてすみません!

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