大学教員公募の忘備録 第1話

私の研究分野は複数の分野にまたがっています。その分野をA、B、Cとします。私はA分野の学部教育を受け、大学院時代と学位取得後はB分野の研究を進めてきました。助教時代の教授もB 分野の専門家です。助教時代の後半は独自研究としてC分野の研究もはじめたところでした。以下の各公募ではその対象となる分野をA、B、Cで表記します。

1年目:箸にも棒にもかからない連敗期間

当初所属していた国立大学での在職中も、昇進が難しいことは薄々感じていたので、「条件の良い公募があったら」という軽い気持ちで公募への応募をはじめました。

1校目:首都圏大規模私立大(書類落ち)
右も左もわからないまま公募書類を作成。募集対象はB分野。とりあえず問い合わせ先の先生に居室や実験室の広さを問い合わせてやる気を見せたりした。結果は書類落ち。締め切りの2ヶ月後に郵送にてお祈り文が送られてきた。当時は「やはり公募は難しいな」と公募戦線の厳しさを改めて実感した。しかし今になって当時の応募書類を見返すと、非常に拙い書類であり、やはり落とされて当然だと感じる。

2校目:関西大規模私立大(書類落ち)
募集分野はA分野。A分野の研究は共同研究で関わっただけであるが、B分野、C分野との融合で面白い研究に発展できる見通しがあったため、それを最大限アピールした公募書類を作成。3年以上経った現在も結果待ち・・・であるが、いわゆる「サイレントお祈り」であった模様。メールでもいいからお祈り文は送ってくれ、と心から願った公募でした。

3校目:地方大規模私立大(書類落ち)
募集分野はA分野。助教時代の勤務地とも近く、また地方大でありながら教育・研究環境は悪くないと聞いていたため応募。締め切りから1ヶ月後にお祈り文が郵送で届く。応募書類の発送方法に細かい指定があり、書類準備に手間取ったことを覚えている。

4校目:関西大規模私立大(書類落ち)
募集分野はA分野。2校目とは別の大学である。A分野の公募書類もだいぶ書くのが慣れてきたと思っていたのだが、締め切りから2ヶ月後にお祈り文が郵送で届いた。連敗を重ねてきているが、「これくらいの連敗ではまだまだ」、と思っていたのでショックは無し。ただし、書類落ちを当たり前だと思って公募書類のブラッシュアップをしなくなってしまったのは最大のミスであった。

5校目:首都圏中規模私立大(書類落ち)
募集分野はA分野。なんと締め切りから1週間後にお祈り文が到着。明らかな分野違いであった模様(しかも当該公募は再公募となった)。この経験から、A分野での公募は厳しいのではないかと思い始める。応募の方針を改めて確認する機会となった。

公募戦線1年目は5戦5敗という惨憺たる結果となった。

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