![ビル椅子_東京](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/1514064/rectangle_large_2e0b925f1f99d35b0693dffcc4bc6804.jpg?width=1200)
ビル椅子・東京
窓際にあるベッドから首をもたげて上を見る。空は狭い。道を挟んですぐ隣には、この街でもそれなりに高さのあるビルが建っている。見飽きたそれに地元でよく見たつくしを重ねても、ビルはどうにも不格好だった。スマートが要求されるこのご時世に、このフォルムはいかがなものか。つくしの方がよっぽど合理的かつすらりとしたフォルムではないか。少年は悪態をつきながらゲームに戻る。肘で支えたゲーム機の中では次々とゾンビが襲い掛かってきていた。親指でボタンを叩いて片端から打ち抜く。むくむくと起き上がるゾンビの隙間をかいくぐって、また少年は上を見上げた。
そこには巨大な子供が座っていた。いくつもそびえるビル三本くらいにかけて、その子供の尻が乗っている。少年は瞬いた。ゲーム機の中で、主人公がゾンビに襲われている声がする。少年は瞬いたまま、頭を揺らした。眩暈がしそうだった。どうにも遠近感がおかしい。ビルに座っているからにはかなり遠いはずだ。しかし、こんなに大きい。そのせいですぐそばに座っているようにも感じた。少年はゲームに戻りながら訊いた。
「何してんの」
子供は目線だけをこちらに投げる。それから口元に笑みを乗せて首を傾げた。
「前髪伸ばすの、流行ってるの?」
知らない、と返しながらゲームの中で階段を降りる。横の通路からもゾンビが来た。
「あんた、誰」
「知らないの?ずっとここにいたけど」
子供の声の調子はからかうようだった。少年は前髪の隙間から子供を見上げる。知るわけがない。ずっとこんなもの、見たことがなかった。知らない、とまた返して、付け加える。
「いなかった」
子供は後ろのビルに手を突いて背中を伸ばした。
「いないわけない。見えなかっただけでしょ?」
「見えないなら、いないのと同じだと思うけど」
少年が言うと、子供は苦いものを吐くように笑った。
「君さ、空気って見えないけど、なくはないでしょ。無線の電波とか、見たことある?僕には君の頭の中も腹の中も見えないけど、脳みそも内臓も、一応動いてるんでしょ?」
けたけたと笑う。風が吹いて、ビルの窓が響いた。少年はゲームの手を止めて、また子供を見上げた。
「あんた、何なの」
知らない、と子供はツンとそっぽを向く。少年の動きを真似たつもりだろうか。
「本当のことは自分で掴むのが一番だっていうでしょ」
「この街に、本当のものなんかあるかよ」
ため息交じりに言って、またゲームに視線を戻す。体力ゲージが赤ライン。これは遠からず死ぬな。少年はボタンを叩いて空しく足掻きながらまた訊いた。
「何してんの」
子供は両手を広げた。日差しが翳って、袖には風を孕む。
「空を見て、風に吹かれてる。楽しいよ」
ふうん、と返した声には、我知らず安らいだ調子が混ざっていた。
「ねえ、あんた、いつまでそこにいるつもり」
少年が聞くと、子供は興味を引かれたようにこちらを見る。
「はじめからずっといたってば。やっと見てくれたのに、もう僕のこと嫌いになったの?」
少年はちらりとビルの上に目線をやった。一瞬手を止めた隙に、少年の手の中では主人公がゾンビに襲われている。
「好きとか嫌いじゃない。いつまでいるんだって聞いたんだよ」
押し付けるように聞くと、子供は頬を膨らませながらまた空を仰いだ。
「君の場合は、君が僕を見ている間」
あっそ、と言いながらまた首を下げる。手元のゲーム機の中で『GAME OVER』の赤文字が点滅した。
「あっ、やられた」
顔をしかめてもう一度ちらりと目線を上げてみる。ビルを椅子代わりに座り込んだ巨大な子供は、あたかも手の届く距離にいるような顔で今も空を見ていた。
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