日陰の男

 山を背にした森の中に蔵が一つ建っている。蔵の屋根に男が一人座っている。蔵の前の地面の上にも男が一人座っていた。蔵の上の男は下に向かって声をかけた。

「おぅい、そこの奴よ。日陰は寒くないかい。上がってきてはどうだろうね」

蔵の下の男は柔和に笑んだ。

「おう、そっちはあったかいだろうねぇ」

蔵の上の男はちょっと伸びをしてみせる。

「そうともさ、日当たりがいいんだ。それに見晴らしがいい」

蔵の下の男は膝を抱えて座ったままにこにこと笑う。

「ウン、空がよく見えそうだ」

蔵の上の男は訝しげにした。

「そんならなんでそんな地面に座り込んでいるんだい。足が痛むのかい。手を貸そうか」

蔵の下の男は楽しげに蔵の屋根を見上げた。

「蔵の向こうには何があるね」

蔵の下の男が聞く。蔵の屋根から男は辺り一面を見渡した。

「そりゃあ、森があって、その向こうには里がある。見てなくても分かるだろう」

「そうさ、そうだろう。だったら自分の目で見なくても俺は満足だ」

蔵の上の男はますます首をひねる。

「そっちは空が狭くないかい」

「狭いさね。どれくらい広いのかは分からない」

蔵の下の男は依然楽しそうだ。にこにこ笑ったまま空を仰いでいる。蔵の上の男は瞬きながら教えてやった。

「果てがないんだ。ずっと続く」

「そりゃあ、いいや。それが分かったらもう見なくてもいいねぇ」

「お前さん、変わりモンだな」

蔵の上の男がしみじみ言うと、蔵の下の男は小さく笑った。

「そうかい。見ちゃったらなァ、それっきりになっちまう気がするんだ」

「へェ」

蔵の上の男は先を促す。空の果てしなさはどこまでも続くのに、変わったことを言う男だと思った。

「俺はいろんなモンを想像するのが好きなんだ。いつかきっと見えるその時までワクワクしながら待ってる。見える時は目をふさいだって見えるんだから、今はいいだろう。なァ」

蔵の下の薄暗い日陰に座ったまま男が笑う。蔵の上の男は首を傾げた。

「ちょいとそっちに降りてみてもいいかい。そんなに楽しいかい」

蔵の屋根から身を乗り出して男が言うと、屋根上を見上げて男が声を上げて笑う。

「楽しいねぇ。どれ、降りておいで」

日陰に埋もれた顔は、屋根の上にある男の顔よりもずっと輝いていた。

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