ふと思ったこと…依存について。〜不登校・学校の悩み相談「みんなの談話室」〜
こんなツイートを先ほどした。
大事な事だと思ったので、ここに記しておきたい。
私は、人が生きる上で1番気をつけなくちゃいけないのは、「依存すること」だと思っている。
依存は心地よい。
自分が許されると感じる物、事、人、に中毒のようにはまっていく。
ここでなら、とか、これをしている間は、とか、この人になら、自分を解放できる、というのは良い事だ。
そのようなものを、枝葉のようにたくさん広げて、「自分のご機嫌の取り方」を知っている人は強い。
でも、ここでなら、とかこれをしている間は、とか、この人になら、とか、どれかひとつに執着して「ここでないとダメだ」と自分も相手も縛り付けるのは違う。
中学3年の時に亡くなったうちの祖母は、私が初めて心理系の仕事に就きたいと言った時、珍しく厳しい顔で否定した。(愛情が深く、優しいけど厳しい人だった。私はそんな祖母の性質を引き継いでいる方だと思う。)
「人の心の仕事をするってことは、相手のことを考えすぎて身を滅ぼすこともある。絶対やめた方がいい。」
というようなことを言われた覚えがある。
もちろん当時子供だった私はその意味が分からず、大好きな祖母に否定されたような気がして悲しかったのだが、教員という職業柄、長年人の心に寄り添うことをしてきて、また、これから子供たちや親御さんの心の居場所になりたいと思う上で、この言葉は、心に寄り添う側の人間としての心構えというか、私の教訓になっている。
共依存という言葉がある。
お互いに依存して生きること、とでも言おうか。
私は共依存になりかけて苦しんだことが、実は2回ある。
どちらも、10代後半の頃のこと。
友人関係であった。
内容は割愛するが、私は子供の頃から話を聞くことが多いタイプで、でも、その度に「こうしたらいいんじゃない」みたいな提案を前向きにしてきたタイプだった。
それが、高校1年生の時に不登校になり、心身のバランスを崩し始めた時から、同じような気持ちを分かってくれそうな友人を求めた結果、危ないことになりかけた。
でも、調子悪い時ってその事に気づかないのよ。
数少ない友達だから、自分を分かってくれる人だから、とハンバーガーショップで、終電があるまで話聞いたり、待ち合わせまで何時間も待たされてるのに買い物に付き合ったりした。死にたい、とか、消えたい、とか言われたら「大丈夫だよ、私がいるよ」って伝えたり、相手も「分かってくれるのは○○ちゃん(私の名前)だけ。私と○○ちゃんは本当の友達、親友だよ」なんて言われる度に心を砕いて寄り添った。
今の自分が聞いたら、当時の自分に、「それは親友ではない、距離を置きなさい、1番大事なのはあなたの心と体の健康よ!」と言うところだけども、
10代の孤独で多感な時期には、そうするしかなかったんだと思う。
家族に「あんた、帰ってくるとすごい顔色悪いよ」って言われるまで、自分の不調に気づかなかった。
「会う度に、エネルギーを吸い取られてる」と思っていたのを覚えている。
自分から会う回数を減らしたり、手紙やメールを書くのを少しずつ減らして言った。
面白いんだけど、そういう子達って次の依存先探すのよね。
私が距離を置いたらあっさりと次に乗り換えた。
そのような依存先を探している子たちって、実は大学生になっても、大人になっても、いるんだなってそこから気づいて行くんだけれど。
当時のそんな友達が悪いと言う訳では無い。
彼らも自分も、真剣に悩んでいた。苦しんでいた。
でも、どちらかが重くのしかかってきたり、重く感じてしまう関係に、成長はない。
これは、断言する。
残念だけど、常に依存先を探している人達は、自分で気づくまで依存先をいつまでも探す。
自分が心地よいと感じる人、自分を甘やかせてくれる人にたどり着くまで、いつまでも助けて、苦しい、と言いながら、探していく。
「自分が変わりたい」と思って変わる行動をしていかないと、変わることはできない。
大人になって、仕事でもブライベートでも色んなケースを見てきて思うのは、
「本気で変わりたいと思うなら、同じ志をもつ人とだけ関わるべき」
ということ。
せっかく前を向こうと思っても、足を引っ張ってくる関係は清算した方がいい。
もちろん、相談に乗ったり、親身になることは悪いことではない。
でも、必要以上に自分にのしかかってきたり、自分が辛い、と思う関係は、何も生み出さない。どっちかが苦しいだけ。
大事なのは、あなたを分かってくれようとする友達ではない。
あなた自身だよ。
私は、相談を聞いて、傷に絆創膏を貼るだけではない。
あなたがより良く、自分の人生を自信をもって生きていくために、それを一緒に考えて、笑顔で幸せに生きていけるように。私はそんな心の居場所になりたい。
明るく、穏やかに、前向きになるための、心の居場所になりたいと思っている。
時々、心の支援やサポートをしよう、したい、と思っている人のSNSを拝見すると、自分の悩みが解決していないのに、クライエントさんの悩みを聞くのを自分の生き甲斐にしている人を見つける。
厳しいことをいうかもしれないが、私は「自分で自分の悩みを解決できない人に、人の心は救えない」と思っている。
はっきり言うと、不安定な人に人の安定は提供できないのだ。
だから私は時々٩(๑`^´๑)۶ムキー!!!って怒ることもあるし、体調から落ち込むこともあるけれど、自分でご機嫌を取れるし、落ち込んだ自分から上がっていく方法も知っている。
導く者として、自分のご機嫌を自分で取る。
相談を受ける時はベストコンディションな自分でいる、
というのは当然の事だと思っている。
クライエントさんについては来るもの拒まず去るもの追わず。
相談を聞く人は世の中に沢山いる。
相談者さんに合った相談支援者と繋がればいい。
私は私のスタイルや考えを必要としている人と繋がればいいと思っている。
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