比較している場合なのか
みなさま、おつかれさまです、ぺんとないふです。
さて、今日言いたいことは、比較なんてする必要ないんだよ、ということです。
比較。
比較とはとても大切なものです。ベンチマークが分かるというか、比較することにより、相対的に自分の立ち位置などが浮き出てくるもの。
ここで僕は言いたい。
浮き出させてどうするの??
ってことです。
今の立ち位置を相対的に把握するために比較するのは良いですが、その自己認識及び改善の伴わない比較は不要ばかりか全くの無意味であります。
本来、比較とは比較対象との差分を客観視することにより、次のアクションプランや方針を策定するためにあるものです。
それを理解した上で、そもそも論として、比較してどうするのか、は常に自問したいものです。
比較対象がいたとして、そもそも比較すべきかとその対象が適正かというのは、なかなか疑問です。
こと、定性的な自分の好き嫌いなどのカテゴリーについては、比較すべきかとその対象は適正かが、まずもって曖昧、もしくは母集団の選定が不適、ということに往々としてなりがちかと思います。
つまり、
それって比較すべきなのか、比較したとしてその対象は対象になりうるのか、はよく考えたいところです。
自分を語る上では、比較対象は自分で選んでいることでしょうから、仮にそれでなんだか面白くない状況になっているのであれば、全くもって、自分で自分の首を絞めている至極マゾヒズムであることを、ちゃんと理解しといたほうが良いと思います。
これは僕自身の戒めでもあります。
他人と比較なんてしなくていい、自分の好きで世の中を語ろう。
語れるほどに、自分の好きを突き詰めていきたい。まずは、安易に逃げずにウンウンと悩んでいこう。
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