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謎のプリンス

僕が小学五年生の頃、学校の図書室にハリーポッターシリーズ当時の最新刊“謎のプリンス”が配本された。
2年生からハリーポッターを読み込んでいた僕は、そのターコイズブルーの表紙にやおら興奮したのを覚えている。自分は今シリーズの最新に触れているんだ。先端に触れているんだ!という高揚があった。
速攻で借りて家で読み耽ったが、どうもプリンスの意味が釈然としない。プリンセスの誤植か中華料理だと思い込んで読み進めた。
分からないまま健気に読み進め、下巻の後半でようやくプリンスを示す核心的内容にぶち当たり、疑問は氷解した。謎のプリンス自体はつまらなかった



スマホを持たない当時の僕は、分からない言葉を分からないままに出来る粘りがあったと思う。バカの癖に面倒がりで辞書も引かなかったのも一種の粘りだ。
しかし、小説はバカにも優しいもので、売れてる書き物であるほど分からない言葉は文脈から類推できた
東野圭吾なんかはその典型で、誰にでも読めるよう難しい単語を前後で補完する書き方がされており、小学生でも充分楽しめる難易度になっていた。そして当然めちゃくちゃハマった
しかも、前後で類推する覚え方は辞書的な硬直した意味ではなく、印象で単語を記憶できるからか日常的にアウトプットしやすく、それゆえ記憶にも残りやすい。当時の僕の語彙はほとんど東野圭吾で構成されていると言ってもマジで過言ではない

しかし、スマホを持ってからの読書は分からない言葉を即座に検索する読み方になってしまった。すぐに検索して意味を知り、理解した気になって2秒後には失念する。
文中で理解するカタルシスを安易に満たす検索機能は、単語の理解という側面ではマイナスに働いている気がする。少なくとも僕にとってはそう。
あまりにも忘れるから、検索したタブを閉じずに定期的に見返す癖が付いて、一時期常に200個くらいタブがあった。
今はメモ機能に書くようになったので、タブの数は20個程度に抑えられている

もちろん、スマホや辞書だって使いようで、勝手に文脈を作ってしまえば小説のように意味を理解することも出来る
辞書を読み込める小学生とかはそれが出来るタイプなんだと思う。

僕も多分、検索機能を使って覚えた単語の方が小説から汲み取ったものより多いはず。
特にマキャヴェリズムとかエスノセントリズム、リバタリアニズムみたいな“イズム”系は意味が圧縮されすぎて文脈からは分かりづらい。こういう単語をそのまま放置しないで済むのもスマホの利点だ。


とかくまあ、地引きの習慣があれば

「童貞って何?」

と母親に聞いてしまう悲劇は防げるはずだ
現代っ子には僕の二の轍を踏んで欲しくない
分かったら字を引け

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