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ヒノマルソウル見てきた


ということでシアタス調布でヒノマルソウル見てきました。

緊急事態宣言で映画館から距離をとっていた中、明けて一発目の映画がこれ

家から近いっていうのもあってチャリンコで映画館まで行ったんだけども、調布は結構栄えてました。

ぶっとい幹線道路沿いに味の素スタジアムがあって、脇に入ると警察学校もある。

それで学校横に派手な色のデカい建物があるなと見たら東京外語大学。

高校の英語教師がたしか東京外語大学で、そういえばあいつ吹奏楽の演奏会に子供連れてきて他の学生に席譲らせてやがったな。などといらないことを思い出しました。

つまらない記憶だったり忘れたいものほど定期的に思い返してしまうっていうのはもう完全に脳のバグなわけで、そういう意味ではヒノマルソウルは今後数年は思い出してしまう映画です。





まず僕がオリンピックに興味がないっていうのが大きいです。

4年に一回メダルの数を報告されて、日本って意外とスポーツ強いのな。と認識するのが僕にとってのオリンピック。集中力がないのでニュースのダイジェストすらまともに見れない。

ましてスキージャンプなんて全く分からず、ざわちんに弟子入りした高梨沙羅という馬鹿がいる。程度の予備知識で見に行きました。


まぁ僕みたいにアホで無知な、小坂菜緒をスクリーンで見たい。ってだけのボンクラにもわかるよう状況が全てセリフで説明される読み聞かせ映画だったので、予備知識の多寡が問題にならない素敵な作品でした。

上映10分で終わりまで理解できる捻りのない脚本は僕のような予備知識ゼロおじさんに非常にやさしかったです。

隣で見てた知らん姉ちゃんも、田中圭がなんか喋るたびに鼻息を荒くしていたので妙なシンパシーを感じました。

演者に興味ないとこんなん見に来やんよなぁ。

僕は田中圭嫌いやけど


とまぁダメダメな映画でしたが、最もひどかったのが障碍者の扱いです。

普段の僕は障碍者にも人権を!みたいな運動には関心を示さない屑なのですが、映画小説で障碍者の扱いが時代に即していないと冷めます。

障碍者を馬鹿にするな!という文脈ではなく、その作者が時流を無視していることに冷めてしまうのです。


この映画の障碍者は真栄田郷敦演じる難聴の少年。

昔の黒人と同じ描かれ方のゴードン君は、馬鹿で純粋で人畜無害で、一言でいうとアホな障碍者役です。

頭が弱くて間抜けなアメリカ映画のかつての黒人像と同じく、馬鹿で間抜けな障碍者として描かれていました。

障碍とは関係なく、障碍者にも当然アホで間抜けはいるはずですが、映画でそれを描けるほど世間の認識は成熟しているでしょうか?

健常者のアホと、障碍者のアホとを同じ扱いでスクリーンに映せるか。

まずダメです。というか無理です。

障碍とは無関係にアホ。ではなく、障碍者はアホなんだ。と思ってしまいます 。

映画から受けた個人的な印象では、ゴードン君は一人の障碍を持った人間としてではなく、未熟な世間のイメージを寄せ集めて作られた感じでした。

いかなる形の表現でも、こういった問題について一般人の数歩先のビジョンを提示してしかるべきものですが、ヒノマルソウルの障碍者理解は一般的な認識と同程度でした。

トムとジェリーでの黒人家主の扱いと同じく、障碍者はアホとして扱われていました。

理解が進んでいくだろう未来の日本ではトムとジェリー同様、ヒノマルソウルは地上波放送できません。

黒人差別から何も学んでいないヒノマルソウルは、かつての轍に同じくはまった進歩のない作品です。

最高に面白いトムとジェリーを、人種差別の問題から放送しないBPOだか映倫だかの連中はいつか地獄に堕ちると確信しているのですが、ヒノマルソウルはなぜ許されたのでしょうか。


そもそもこの監督は人間に対する洞察が甘すぎます。

脚本も感情も通り一遍。ドラマの推進力が通俗的過ぎて、テレビドラマのレベルです。

この映画は障碍者の描き方がカスであり、ひいては人間の描写そのものがカスであり、つまり映画として最低のモノでした。

小坂出てるねんからしっかり考えて作れ。

ポストにはだしのゲン全巻ぶち込むぞボケ





あと小坂菜緒、ドラマも映画も変な役多すぎて悲しいです。

朝ドラヒロインみたいな馬鹿っぽいキメ台詞を持たされすぎです。

このままじゃ橋本環奈になっちゃうよ、、、





※聴覚障害は前田郷敦じゃなくて山田裕貴って人らしいです。前田郷敦は彫りの深い超絶イケメンでした



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