脱走したパグ

信号の待ち時間というのはなんとも手持ち無沙汰なものである。

パグと睨めっこをしていたらパグはすぐにあっちを向いてしまうし、手遊びをしていたら人差し指が逆剥けを起こしているし、前の人の後頭部を眺めていたら美容師がこちらに向かって営業スマイルをしてくるではないか。青空を見上げれば白い雲に見下され、道路標識を見つめればゲシュタルト崩壊、耳をすませば異口同音、車のナンバーはもう見たくない。だからパグは脱走するのだ。

なんとなくこの時間は映画がはじまるまでのあの時間と似ているんだろうかと考えてみる。と、あらゆるものが同じように思える。卵焼きを作ろうとフライパンを温めるあの時間、二度寝しないようにと再び眠り落ちるまでのあの時間、少年が宿題に興味を持ってくれるまでじっと待つあの時間、一匹目のブルーギルが釣れるまでのあの時間、飛行機雲が流れ消えるまでのあの時間、花火が打ち上がるまでスマホをいじって待つあの時間。タカとトンビどちらだろう、いや、ワシ?と考えるあの時間、も。彼らはどこかへ行こうとしているのかそれとも家へ帰ろうとしているのか。

夜になって信号が青に変わってひょいひょいと横断歩道を渡るパグは一人の人間のように見える。星屑のあいだには柴犬の頭みたいな月が輝きその光はとても大きく柔らかい。対岸の街の光は遠洋漁業から帰ってきて歓声を浴びる船のライトみたいで巨大なマンションから漏れ出る光は止まれないエレベーターの強烈な存在感にそっくりで変な汗が出てしまう。湖の波が岩陰のタニシにぺちゃぺちゃささやき街路樹がだれかを呼び寄せるために次から次へ葉を落とす。一体いつになったら、パグは帰ってくるだろうか。


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