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湖の鳥と白い光

夕暮れ時、黒い鳥は湖の先で眠っていた白い鳥をじっと見つめていた。その白は涼やかで昼下がり遠い空の上で太陽放射に燦く純白な雲のようであった。真っ白な雲から海辺に落っこちた宝石は黄金色の光の波に洗われきらきらと光っていた。艶やかな二つの翼は夕焼け空から温かい愛を受け止めるが如く澄みきった陽光を浴びていた。山の向こうへ眠り落ちていく大きな星の焔は白い鳥の頭、背、腰、そして尾羽の先まで燃やし、声を失った鈍色の星の片隅から片隅まで丁寧に照らしていた。その見事な光線はどんな暗い部分も消し去る貴き炎の息づかいのようであった。

満月の夜に記憶の海を華々しく照らす太陽、のんきな声で星空に歌ううさぎ、黒い鴨はいつもの癖で白い鳥を深い象徴として捉えていた。黒い鳥は、突然自分の眼前に現れた崇高純美な白い鳥があっさりつまらぬ声を出し、退屈な存在に落ちていく姿を見たくはなかった。黒い鳥はなんとしてでもその転落を防がなければいけなかった。黒い鳥は常々、漠然とした海を死に物狂いで泳ぎ渡るときにはゆったりと進む一隻の小さな舟に、広大な草原地帯を駆け抜けるときには大きな一本の木の陰に、ひとつの神秘的な美の象徴を見つけるのであった。

そしてこのとき、黒い鳥と対峙することとなった白い鳥はどこにいても平和な空に漂う小さな雲のように眠り続けていた。黒い鳥は喜んで自身と白い鳥だけの世界に深く錯覚し風を肺の底の底まで吸った。風は濃密で黒い鳥の体内を血液とともに優しく駆け巡り、皮下組織の細部までじんわりと沁みこんだ。

敷き詰められた街の息苦しさ、競争に競争を警告する灰色の煙、季節に踊る豊かな山々、つるりと澄んだ鳥の声。黒い鳥は選ばれた鑑賞者として白い鳥に捧げ得る限りの理想と時間を捧げた。数分前より黒い鳥と接合した世界はこれまで味わってきた芸術的体験とはまったく異なる次元から静かにそして情熱的に黒い鳥の心を振動させた。それは、圧倒的な美を魅せつけ世界を畏怖させる朝の光でも、突如寂然たる深い底から地上精神を脅迫する大地震でも、幸福や不幸という単純孤独な終着駅でもなかった。


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