不確かな黄昏

あるとき彼は久しぶりに地球の自転を感じていた。

といっても彼は地球の自転を感じたということをうまく伝える手段を持っていなかった。だから彼は一日の終わりを遥か上空から漠然と告げてくる金色に埋もれる雲をただ眺めながら言葉を発さずひとつの塩むすびを食べていた。

食事中、彼はある日のことを思い出していた。

それは彼がオムライスにケチャップをかけたくなくなったのは親友に「死ね」と言ってしまった日からなんだと通りすがりの子どもに教えた日のことであった。

偶然、彼の話を聞かされる羽目になった子どもは彼が話す間ずっと彼の口元に付着していたひとつの米粒だけに注目していた。やっと彼の話が終わった時その子どもは「オオサンショウウオめ」と強く彼に言い放ちすぐにどこかへと消えてしまった。

彼は去りゆく子どもの後ろ姿をぼんやりと眺めることしかできなかった。そんな時彼はふと自分が雨の日には塩むすびを無意識に避けてきたことを身体の内側から不気味に感じるのであった。

どうしてだろう?と彼は目の前を無言で通り過ぎ続けていく大人たちに問いたくなった。

一瞬で人々に溢れる街には、慌ててワンルームマンションに帰る大人たちの足音や滑り台をのぼろうとする子どもたちの甲高い声、そして夕闇に潜むフクロウのようにその場から動けないでいた彼の呼吸音が混じり合い、その妙な空気感がひとつの冷たい風となって海沿い夕暮れに咲いた一本の花を静かに揺らしていた。

山の向こうへ眠り落ちるように沈みかけていた太陽は人々を最後の最後まで照らしていた。彼にはその光がどんな街の明かりさえをも圧倒する、だれしものどんな歩みをも止めさせ見惚れさす極限的な煌きのように感じられた。けれどこれでも太陽は控えめに光っているのだ、彼はそんな太陽に微笑むことしかできなかった。

彼は地球の自転を感じたそのことをとにかくだれかに伝えたかった。暗闇に吸い込まれゆく不確かでほのかな光はそんな彼の小さな身体の奥を輝かせようとまだその光をきっと諦めてはいない。


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