二〇一八〇一自(19)

二月も終わりかけのある日。僕は友人たちと居酒屋で楽しんでいた、はずだった。けれど、記憶があるのは目がしっかり開かず、吐き気が連続してやってくる瞬間からだった。
意識が朦朧とするなか、どこからか母親の声が聞こえ、車椅子に乗りタクシーに乗せられた。僕は、何回もごめんなさい、ごめんなさいと言っていた。そう伝えている自分になりたかっただけかもしれない。そうして一刻も早く楽になりたかった。
機械が揺れる音、エンジンの音が車内の空気を揺らす。車の窓から景色を見ると、街灯の光がある、外は暗い、ということだけがわかった。隣からは母親の声が聞こえたり聞こえなかったりしていた。ああなにをしているんだろう。ああなにをしているんだろう。けれどももう、それ以上は思考が追いつかない。こんな患者は、世の中では日常茶飯事だ。けれども、いざ自分の番がまわってくると、大きな闇の中に一人だけ落とされたみたいだった。
僕は病院の近くにある母親の実家に連れていかれた。家には約十年ぶりに会うおばさん、おじさん、おばあちゃんがいた。今までまともに話してこなかったのに、こんな僕をこんな時間に心配して笑顔で迎えてくれた。僕はなんとも言えない気持ちになった。けれど、人との繋がり、人のよさというものを感じざるを得なかった。ああ恵まれている、ごめん、ありがとう、そんな単純な言葉を繰り返していた。
母親の実家は、日本の風情が至る所に残されていて、昔ながらの温かさみたいなものがあった。仏壇もあるし、中庭みたいなものもあった。とにかくにおいが京都である。単なる線香のにおいと言ってしまうこともできるだろうけど、無理やりそんな枠に閉じこめる必要もなかった。
僕は酔いが残ったまま笑いながら喋っていた。たぶんこの家でこんなに気をつかわず喋ったのは初めてだった気がする。でもそんなことはもう気にしていなかった。酔っているのだから。周りも笑っていた。おばあちゃんは、温かいお茶を僕の前に出してくれた。僕はそれを飲んだ。
言葉では限られたことしか伝えることができない。誰かの言葉にはその誰かの経験と感情が詰まっている。それは他の誰かのものとは決して同一ではなく、本質的に理解することは不可能である。逆に言えば、至る所に溢れかえっている言葉なんてものはそれ自体を表していない。日々聞こえてくる文字は共通であるけれど、人がそこに託した、期待している意味はまったく違う。そして僕たちはたびたび言葉の選択を間違える。口から出てくる言葉は必要のない色が塗られている。それは無意識に。もしくは意図的に。
何分喋ったかわからない。僕は二階に連れて行かれた。階段を登るとき、二階の部屋をみたとき、僕の脳には小学生の頃の記憶が映っていた。この家に泊まるとき、僕たち兄弟が寝させられていた部屋。その部屋には毎回なにか独特な空気が漂っていた。部屋に置かれたテレビは古く、部屋の奥の方にはこけしのようなものが置かれ、ライオンキングの絵本もどこかにあったような気がする。自分のいつもの住みかとはまったく違う空間に、少年は異様な感覚に毎回襲われていた。
布団はすでに綺麗に整えられていた。中にはカイロが置かれていてもうすでに暖かい。こんなところにまで気遣いをしてくれる。僕は感謝と恐れみたいなものを感じた。人というのはなんなのだろうか。わからない。そんなことを考えても答えは見つかるはずもなかった。僕は布団にはいり、部屋の入り口にたっている真っ暗な扉を想像した。見えないけれどそこにはある。そこにはあるけれど見えない。部屋は不気味なほどに音を立てようとしなかった。しんとした部屋につられて僕はすぐに眠りについた。

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