雪だるま狂想曲

フカフカな雪の降る日。通勤途中のカフカはいつものように立派なステーションに架かる立派なコンクリート橋を渡っていた。

この街に住む人々は出勤時、決まって自分の家の玄関の前に置かれている重厚な被り物をかぶって出かけていた。毎朝、新品の被り物が支給され、それは他人の呼吸音、足音、街の喧騒、自然のざわめき、清々しい陽光、その他すべて自分の仕事に関わりのない要素を排除する設計となっていた。当然この街の中心に流れるはずの川の音は誰の耳にも入らなかった。けれどそれはこの街に住む人々にとって当然のことであり誰も何も不思議には思わなかった。不便さの無い生活のどこからも疑問は生まれなかった。けれどこの日のカフカの家の玄関前に置かれた被り物はこの街初めての欠陥品であった。

エラーという概念さえ知らない街で育ったカフカはコンクリート橋を渡り始めてすぐに今まで経験したことのない違和感を覚え顔をしかめた。なんだろうこれは?なにかおかしい?そしてカフカの耳にはまず橋の下を勢いよく流れる川の音が入ってきた。そして次に何重にも重なる口笛の音が入ってきた。何の音だろう?誰の仕事だろう?ルーティンから外されたカフカの意識はこの音に夢中になってしまい気づけばエラーの渦に巻き込まれていたカフカ自身は当然橋の上を歩く人々の障害となっていた。そしてすぐに人々の流れの外へ蹴り出された。

倒れ込んだカフカはどうすればいいのかわからなかった。助けを求めるように橋の欄干の隙間を覗くとそこにはなんだか懐かしい光景が広がっていた。大きな川が自由な音をたてながら渦巻くように流れている。そしてそんな景色を謳歌するように川岸で数体の雪だるまが舞い落ちる雪に向かって気ままに口笛を吹いている。なんてことだろう、不可思議なことだ、これは、かふかふ。カフカが笑いながらそんなことを思っていると一体の雪だるまがカフカの揺らぐ意識の上を転がりながら通過していった。ん?今のは?とカフカは首を斜めにひねった。このときカフカはその雪だるまがずっと自分の家に隠れ棲みついていた小さな雪だるまであったことにもちろん気づいてはなかった。カフカは腕時計を確認し、人々の流れから外れるように川に飛び込んだ。

気づくとカフカは仰向けに寝転んでいた。ようやく立ち上がり体にまとわりついた雪をはらい落とすと、カフカは喉に詰まる苦しみを感じるよりもまず先に自分の目の前に広がる景色に驚いた。壮大荘厳な川、遠くのびる大雪原。いつも渡っていた橋の下に広がる世界はこんなにも雄大なものだったのか。初めて見る生きた水や雪の勢いはカフカの目を輝かせた。そしてカフカの耳にはまだあの口笛の音が聞こえていた。カフカはこの世界への入口となってくれた雪だるまたちとの交流を望み、口笛の音の方へ歩みを進めた。だんだんと音は実体として感じられ始めそして地面に降り積もった雪のフカフカ度はどんどん増してゆきカフカが足跡をつけるごとに雪はバフッ、バフッ、と愉快な音を奏でていた。なんだか初めて味わう悦びというものをカフカは体一杯に感じていた。わざと歩幅を小さくしながら遠回りしながら小躍りするように雪だるまが集まっているであろう場所へと向かった。そしてようやく雪だるまたちのそばに辿り着いたカフカは降り落ちる雪に埋もれてしまいそうな細い声で尋ねた。

「やあ雪だるまさんやあ、どうして口笛を吹いているんだい?」

シンシンシンシン……

鼻に真っ赤なにんじんを突き刺していた一体の雪だるまがカフカの目を見て答えた。

「やあやあこれはこれはカフカさんやあ、どうしてこんなところに?」

シンシンシンシン……

「いや、その、橋の上から雪だるまさんたちが見えたもんでえ」カフカはスーツに雪が降り積もるのを感じ手袋ではたこうとした。けれどそれを思いとどまった。

それを見ていた他の雪だるまたちはワハハと大笑いしその雪雪しい声を空に響かせた。そしてカフカのまわりに円を描くように転がり始めた。一周、二周、三周……雪だるまたちはカフカのために心からの歓迎の宴を催してやった。カフカもそれを心から楽しんでいた。そのあいだも橋の上からは無意味な雪が降り続きカフカの体は空しい白さに色づけられているのであった。


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