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喜太郎ラジオ

とんとんとん、失礼します。喜太郎でございます。喜太郎って誰だよっていう声が多数聞こえてきますけども、お前も誰だよ、これ失敬、たくあんをひとつ。こりこり。

さて、新見喜太郎の喜太郎ラジオの時間でごさいます。長々と一人で喋るのはあまりないことですのでお手柔らかにお願いいたします。

と言っても、近ごろ自分の坊主頭をぽりぽり掻いておりますとなんだか手のひらのほうが、河原に転がっている岩石のようにかたくなってきているような気がしないでもありませぬ。一応申しときますと、わが妹、梅海!の掌はぷにゅぷにゅです。

早速ですけれども今日はこんなお便りがきています。飛脚さんありがとう。

こんにちは!新見喜太郎さん!今日もいい天気ですね! 天キノコより

ありがとうございます天キノコさん。とてもしんぷるうな文で書かれた葉書ですのでおいらもしんぷるうな言葉で返して終わらそうと瞬間思いましたけれども、なんだかそう楽には噛みちぎれないのがこのキノコさんの魅力でしょうか。

まず、こんなつまらない喜太郎ラジオにお葉書を送ってくれるだけでも感謝感激げりらごううでございます。あれ、するともしかしたならば、このしんぷるうなめっせえじは、お前のつまらないとおーくにはこれで十分だという暗喩でございましょうか。涙が一粒ぷるっ、、あれ

こう考えることができますのでは。それでしたらびっくり印なんて使わないのでは!と。びっくり印があるだけで文の印象って変わりますからね。

了解。

了解!

下のかたはこれからいっしょに冒険にでも出発するがごときのえねるぎいでとてもきもちがいいです。いくら発電所があってもたりないかもしれません。

失敬、話をもとに戻します。くるり。

おそらく天キノコさんはただ上から下へと流れつづける川のせせらぎのように純粋でぷるぷるうな潤わしい心の持ち主なのですきっと。そして暗喩というはっきりとした明かりのない世界であっても、天キノコさんはこうおっしゃるのでしょう。

「ねえ、今から晴れるよ」

近々、梅海と活動写真をみにいくことが決まっておりまして、その日は晴れることを願っております。


よいしょと、次のお便りでございます。

喜太郎坊主、てるてる坊主、結局それは雨模様。最近この唄が頭から離れません。どうしたらいいでしょうか?木星のわっかでわなげしたいより

木星のわっかでわなげしたいさん、お便りありがとうございます。この文章をみたとき、なんだか瓶のこるくがすぽっと抜かれてたくさんのことが詰まっていた空気がおいらの部屋中に蔓延したような気がいたしました。仮面やますくさえも簡単に突き抜けてしまうような。ごほごほ。

しかしこれは喜太郎自身のこと。喜太郎自身にしか伝わらないことなのだとも思います。なので、おいらのことは気になさらず、空を見上げてください。

そこにあるのは、じゅぴたあです。じゅぴたあは天気を司る神様がついておるといついつぞ先生も言っておりました。なので、その輪っかをどこかにえいやっと投げてみてください。その輪っか、この喜太郎がしかとお受け止めいたしますので、ご安心を。たとえ雨がふろうと雷がおちようと。

ふと思いだしたのですが、てるてる坊主のようになれ、雨なんかふらすな、これはわが父上の教えでございます。

じゅぴたあのように天気を司るのは偉いのかもしれません。おいらもそれが正しい、じゅぴたあのようにいたるところでぴたぴたぴたあとなりたい、そう思っておりました。

しかしもしかしたらそうじゃないのかもしれません。おいらはただの小坊主、新見喜太郎でございます。雨に打たれ雷に打たれ風に飛ばされそして雪に埋もれる新見喜太郎でございます。丸刈りあたまの喜太郎、晴雨雷雪に挟まれ揺れつづける喜太郎、なんだかおいらにはそちらのほうがしっくりくるのです。つまるところそれでこそ、いやいやそれこそ、新見喜太郎なのでしょう。


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