二〇一八〇一自(18)

駅に着き、合同説明会の会場に直通で向かう無料バスに乗り換える。けれど、バス乗り場に着くと、バスは一時間待ちでーすという案内者の声が響いていた。雨がっぱのような白いコートを着た案内者は地下鉄で行くことをすすめている。地下鉄でも行こうと思えば行けるけれど、お金がかかり、乗り換えもあり面倒なので僕はそのまま待つことにした。隣に並んでいる人の就活話を聞くのを楽しみにしていた僕もいる。
時折、強い風が学生たちの黒いコートを揺らす。色をもたない風たちは、俺こそが冬の風だと終着点のない言い争いをするように強く吹き荒れていた。道路のそばに人間の勝手で植えられた背の高い木々たちが冬の強風に激しく左右に揺らされている。決して地面から離れまいと必死に耐えている。その隣では頑丈に塗り固められたビルやマンションが、冬の嵐を平然と受け止めびくともせず無表情で直立している。
横を見てみると、僕と同じように一人で来たであろうスーツを着た女の子がいた。話しかけようかとも思ったけれど、彼女はスマホの画面と睨めっこをしていたので、僕は口を閉じたまま風の流れを見たり、スマホをいじったりしていた。ようやくバスが暖房を効かせて僕たちを迎え入れてくれたのは、たぶん並び始めてから五十分ほどたった頃だった。
列にきれいに並んでいた学生たちは順番にバスの奥の方から収容され、僕は窓側の席に座った。そうしてすぐあとに睨めっこ大会から帰ってきた彼女が僕の席の隣に座った。約一時間、沈黙の寒い世界で待たされていた僕は人の温かさを求めるように、彼女に向かってやっと座れましたねと軽く言ってみた。彼女は笑顔でうん、寒かったねと言った。
二人はバスに乗っている間、当たり障りのない大学の話や就活の話をしていた。けれど振り返ってみると、強く記憶に残るような会話はなかった。時々、何かの話で笑い合っていた気もするが、内容はもう忘れてしまった。会場に着くと、二人で一緒に行動するのも気まずいので、じゃあ各自自由行動で行こう、と僕は言った。彼女は笑顔でうん、またねと言った。彼女は岡山から来ていた。だからもう会うことはないだろう、そうふと思った。けれど数秒後には互いに違う方向に歩みを進めていた。
会場は思っていたより広く、そして無機質だった。まわりを見渡すと、服装と髪型をかっちり決めている学生たちが、血液どろどろのコレステロールみたいに流れている。どこの社員も必死に学生を勧誘し、プレゼンをしている。まるで誰かの命令に従っているかのように、常に笑顔を保ち、口を動かしている。笑顔はいい印象を与えてくれるからいいのだけれど、僕はそんなものを見ると毎回彼らの本心というが気になってしまう。本当にその笑顔は笑顔なのだろうか。その話は心の底からの話なのだろうか。それともなにかで塗り固められた不自然なものなのだろうか。まあ、未来ある学生に嘘はつかないと信じることにしておく。僕は、僕でないまま何社かの社員の話を聞き、ただ二本の足を動かし帰りのバス乗り場へと向かった。

バスの窓から夕日が差し込んでくる。この前の太陽が色を変えて僕を暖めてくれる。広い会場を歩き回ったので、足の方に重い濁った水がたまったような疲れを感じる。バスの座席が窮屈なせいかもしれない。今日来ていた数々の企業の社員の人たちはもっと疲れているのだろうか。何度も何度も同じ話をして。寝る時は達成感に満ち溢れているのだろうか。それともまた明日の仕事についてあれこれ考えを巡らしているのだろうか。そんなことは学生の僕にはわからない。
ブースで話していた社員の顔を思い出そうとしても、もうすっかり出てこない。僕の脳はいらないと判断したらしい。行きのバスで隣になった彼女の顔を思い出そうとする。けれど彼女さえも出てこない。彼女の存在は覚えているのに、彼女の話し方、声、素ぶりが厚い霧に覆われてこちらからは見えない。彼女は小説に出てくる彼女になってしまった。彼女からみた僕も小説の中のただの登場人物にすぎないのだろう。
思えば、比較的関わりが深いと言えるみんなも、結局はそれぞれの小説に出てくる単なる一人なのかもしれない。そんな単なる一人に僕たちは楽しまされ悩まされ苦しまされ笑わされる。もう彼女と会うことは二度とはないだろう。いやもし会ったとしても、互いに気付きはしないだろう。そう思うと、寂しさみたいなものが冷たい煙のようになって僕を取り囲んだ。
そんなことは知らないとバスはどんどん彼女から離れていく。結局、どんなに過ごした現実でもどんなに空虚な想像でも、一秒後には同じ過去となっている。どんな時間も止まってはくれない。あらゆるものはずっと動いている。果てしなく。僕はスマホをいじる気にも、本を読む気にもならなかったので、そのまま眠ることにした。

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