マトリョーシカ・マトリョーシカ

「『鈍色の空に』って本知ってる?」

ああ疲れた眠ろう、目が疲れている。

こらあかんよ。誰だ?医者か、医者か、歯医者か、歯磨き粉使い過ぎたら刺繍病なるてほんとう?いや誤字はええとして、刺繍病ま?

「ファティマ第三の予言」

サッカーボールを夢中で取りに来るthe事故予防運転シミュレーションしてたら出てくる坊やのように。僕はペーパードライバーだけれどさすがにブレーキぐらいは踏める。なので、思いっきりブレーキを踏んでみた。

僕の頭の中にはいつも文字がこびりついている。3日間放ったらかしにされている唐揚げ専門店の調理油みたいに。毎月赤字なのになぜかもう店主は3代目である。アルバイトの大学生は2週間に1度は変わっていて、いったいどんなシフトを組んでいるのか僕は公式アカウントの顔をしてこの店のLINEグループに立ち入り検査をしてみたい。黒のスーツをビシッと決めてCoincheck社に足早に入っていく金融庁の職員みたいに。それをパシャパシャ撮るマスコミは今日のところはお断りしておく。

僕は立ち入り検査がやってくる前に、できるだけ脳の中を1日、1日洗うようにしている。けれど今日はなかなかとれないマトリョーシカがあった。油汚れにはジョイと誰かがいつもすすめてくるけれど、僕はタレントのJOYがなかなか面白いと思っている。そして人生には一度は触れておきたい文字が多すぎる。たぶん10回ぐらい輪廻転成必要丸である。シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ。

「『鈍色の空に』って本知ってる?」

ウイルスである。ウィルスミス、略してウイルス。そんなことをダルマが言っていた。本当に失礼な奴である。

さて、冒頭でも現れたこのセリフの生みの親は、マトリョーシカ・マトリョーシカである。彼はロシアからの留学生で、僕の部屋の隣に住んでいる。

けれど、ロシアからの留学生だということは実際のところ真実かわからない。なぜならマトリョーシカ・マトリョーシカ自身が、僕と会った初日に、「マトリョーシカ・マトリョーシカの言うことは信じないでくれ」と言ってきたからである。僕はそのときはよくわからずとりあえず中田英寿並みのスルーをしたのだけれど、こないだ、「マトリョーシカって実は日本のこけしで、こけしはロシアのマトリョーシカなんだよ」とパンダの餌である笹の葉を片手に持ちながら言っていたのをみてなんとなく理解した。けれど僕にはマトリョーシカ・マトリョーシカの言っている意味そのものは理解できなかった。もちろんその姿も。

それはマトリョーシカ・マトリョーシカなりの比喩表現なのかもしれないけれど、そのときの僕はそんなことで頭を使いたくなかった。なんせ僕はただのふつうの会社員で、月給25万、通勤手段は満員電車、日々の仕事が僕の人生だからである。マトリョーシカ・マトリョーシカはおすすめの商品を教えてくれるわけでもなく電車の遅延を教えてくれるわけでもなく、LINEの送り忘れを教えてくれるわけでもない。マトリョーシカ・マトリョーシカはただのマトリョーシカ・マトリョーシカなのである。だからマトリョーシカ・マトリョーシカの相手をできるのは、たぶんマトリョーシカ・マトリョーシカ自身しかいない。

マトリョーシカ・マトリョーシカは口から放つ言葉すべてをほんとうのように話す。顔はまったくロシア人ぽくなく、ほとんど日本人と変わらない。幼稚園の頃、君は生まれた瞬間から探偵屋に弟子入りしたのかなと園長先生に不気味がられたほど疑い深い僕は、マトリョーシカ・マトリョーシカの言葉をマトリョーシカ・マトリョーシカと会った次の日からーそれはマトリョーシカ・マトリョーシカの「マトリョーシカ・マトリョーシカの言うことは信じないでくれ」というセリフがなかった世界線でもー信じないようにしている。だからマトリョーシカ・マトリョーシカの名前であるマトリョーシカ・マトリョーシカも、まるっきり信じていない。

それでいてマトリョーシカ・マトリョーシカはいつも2cmぐらい地上から浮いている。いや、そう見えるだけである。実際、彼の靴の裏は汚れているし、足音もする。どうしてわかるのかって?靴の裏の汚れは、マトリョーシカ・マトリョーシカが僕の部屋のベランダからカラスのようにやって来て、トイレを貸してほしいと言って僕の返事も待たず急いでトイレに走って行ったすきに、僕はベランダに置かれた靴ーそれはイグニオの真っ白な靴ーの裏を確認したことがあるからだ。きっちりほどほどに汚れていた。そして彼はベランダから入ってくるという厚顔無恥なことをするくせに、靴はまるで厳格なお父さんをもつ彼女の実家に結婚の許しをもらいに来た日みたいに丁寧に脱いでいく。街で荒れ狂う巨人が日々のレシートは大切に保管して家計簿をつけているみたいな。足音はというと、人並みにいつも鳴り響いているから確認するまでもない。それを確認するのは、ペ・ヨンジュンとイ・ビョンホンの違いをいまさら確認するようなものである。

マトリョーシカ・マトリョーシカはいつも笑っている。それはひまわりのように明るい笑顔、と言いたいところだけれど、マトリョーシカ・マトリョーシカの笑顔はそんな単純なものではない。猿の笑顔のような、キリンの笑顔のような、いやペンギンの笑顔のような、そんな笑顔なのである。端的に言えば、この地球上で現時点で確認されている動物すべての笑顔を小麦粉と卵で溶いて、均等に混ざった瞬間、その一瞬の顔をしている。マトリョーシカ・マトリョーシカはそのことを知っているのか知らないのか、動物園に行くことを好む。けれどほんとうは、自然にいる動物をみたいんだ、とも言っていた。だから動物園にいるときのマトリョーシカ・マトリョーシカはカシーョリトマ・カシーョリトマなのかもしれない。だめだ、マトリョーシカ・マトリョーシカの癖が僕にもうつってきている。僕はわかりやすい文章しか書きたくないのだ。でも今日はあまりにもマトリョーシカ・マトリョーシカがその顔をみせてくる。窓の向こうから手を振っている。その振り速度は今日がサッカーW杯決勝日本対ロシアなのかと勘違いするほどの熱量である。

マトリョーシカ・マトリョーシカ。

また今度話そう。

そういえば彼から今日、手紙が来ていた。隣に住んでいるのに、LINEがあるのに、わざわざ僕の部屋のポストに手紙を投函していた。

手紙には黒い細い字でーそれはまるでカラスの足跡みたいにーこう書かれていた。



「僕のほんとうの名は、
マトリョーシカ・マトリョーシカ・マトリョーシカ
だよ」







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