春夜のダウンジャケット

夜の湖岸散歩に吹く名もなき風の相手をしたい、そう言って暗闇の湖に走って行った月野は、春夜には似合わぬちっちゃな青いダウンジャケットを着ていた。自分で買った初めてのダウンらしい。


「夜の港を叩く波の音は大人の涙みたいだね、そう言って強風を顔面にぶつけ進むようなカモメに憧れたのはもうずっと昔の話。今の僕はベンチにだれかが座っていないことを願いながらだれかが座っていることを願うだけで、流れて流れて流れゆく時の多さに寝そべりながら星をみる。人の記憶の中に生きては死んで生きては死んでを繰り返すこのゲームはきっとバグなのかな。ごらんよ、とっくの昔に湖底に沈んだはずの星の光が今になってやっと冴えている、ばいばい!」


僕は家に帰ってその日の日記帳にこう書いた。

2021年4月14日
「静かで荒々しい夜の風が目に沁み込む。まただれかが遠雷みたいな「本当の別れ」とやらを見つけようと踏切まで駆けていった。風はいとも簡単にカラフルな遮断機を越え、向こうから素敵な笑顔で手を振っている。大きな街は無色透明の甘い水に沈み空には白い昼月だけが残っている」


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