忘れられたコロッケ

僕はコロッケに単独で関わったことはないのだけれど今日はコロッケの話をしたいと思う。いまのところコロッケには三つの候補が存在する。まずは一つ目、料理のコロッケである。コロッケ屋さん、カリクリームコロッケ、爺ちゃんのコロッケ、そういったコロッケである。次に二つ目、モノマネ芸人のコロッケ(さん)、最後に三つ目、かつて月刊コロコロコミックで躍動していたコロッケ(くん)である。後半二つのコロッケの前を新快速みたいに通過したのはお察しの通りでありーお察しできないなら空を見上げて欲しいー特に二番目、あまり言葉が生まれそうにないのでザ・コロッケである一番目のコロッケ、美しい油でカラッと揚げられたコロッケコロッケについての話をしたいと思う。

ではまず、いや、というかなぜコロッケの話をするのか、について僕は説明しなければいけないと思う。だって最近のワイドショーやネットニュースでコロッケの存在を見たこと感じたことはあるだろうか?断じてない。シュメール人はやっぱり宇宙人なんだ論争に人生をかけるぐらいに断じてない。いや過去に戻れない僕たちにこれを断ずることはできないけれど。だからこそなのである。なにがだろう。約二十年四季折々晴雨風雪過ごしてきた僕はコロッケについて何か書こう何か伝えよう、そんなことは今まで一度も思うことはなかった、たぶん。だから僕は今回名誉あるコロッケ大使としてコロッケのコロッケによるコロッケのための一日宣伝部長をコロッケらしくコロッケなりに務めたいと思う。それでどうだろうか諸君。

僕は人類の日課であるベランダから曇り空を眺めるという行為に今日もリトルタイム費やしていた。ぼんやりとした景色のなかには浅い沼が見えて大小さまざまな木々が灰色空に何かを求めるように手を伸ばしていた。忘れられた日課であるストレッチを引き出しから取り出し体を動かすことにした僕は犬が別の犬のおしりを嗅ぎにいくみたいに沼の水際に近づいていき靴下を脱いだ。両脚のくるぶしぐらいまで濁った水の冷たさを感じた。沼の向こうからポケットに手を突っ込み前の座席に座る若い乗客を睨みつける帰宅途中のサラリーマンの視線を感じた。

そこをすりぬけるように形の綺麗なコロッケが一人ぽつんと沼の中心に落ちた。誰の目にもつかぬように謙虚にぽちょんと飛び込んだ懺悔に満ちたコロッケであった。高度経済成長の時代の波に乗り遅れたかわいそうな住宅のようにも感じられた。きっと今まで空から地上を見下ろしていたコロッケはどこにも見たことのない美しい円をもつ沼に惹かれたのだろう。沼を取り囲むように街は円形に広がっていた。紫髪、派手な服装、タトゥー、まるまるメガネ、人工レトロ、汚いネオン……。「人々は沼を囲みながら沼以外の用事に時間債務を負っているんだ」装飾と騒音で塗り固められた天国から真っ先に抜け出そうとしていた一人の少女は重い機関銃を担ぎそう呟いた。そして沼に飛び込んだ。やあ野良猫さん、また一人の仲間が旅立ったよ。


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