二〇一八〇一自(25)

今日、日本の過去最高気温が更新された。テレビから流れている情報は暑さ対策に関するものばかりであった。一日中家のなかにいた僕は外の実際の不快さはわからなかった。部屋の窓から侵入してくる風は、巨大な太陽によって限界以上に熱せられたコンクリートを想像させた。けれど、夕方になると不思議なことに、僕にとっては涼しげで清々しい世界に変化するのであった。夏の陽が沈む時間帯、それは僕が一番好きな世界かもしれない。風は夏のにおいをまとって吹いてくる。陽は美しいオレンジ色で家の中すべてを照らす。空は茜色に染まり、人々は顔を上げる。
夜、玄関へと向かい窮屈なぞうりを履き、庭に出た。庭の景色と空気は少年のころの夏を思い出させた。月明かりのおかげで、庭の緑を視覚で感じることができる。輝く月のまわりには赤や青を基調とした星たちが生きていた。左から火星、土星、月、木星がはっきりと並んでみえていた。なにか特別な力をもった戦士たちが堂々とそこに立っているようであった。酷暑の日の夜空、そこに人間が入る余地はまったくないと言われているようであった。
ベッドに入り両耳にイヤホンをさし、音を最小限まで小さくした曲を聴きながら眠りに落ちようとしていた。曲を聴いていると、ある解釈がどこからともなくふと浮かんできた。歌には歌詞がある。今まではちゃんと歌詞があるところをただ辿ってきたのだろう。けれど今は、今という期間は、歌のなかの歌詞にはない、歌詞と歌詞の間、そういう場所なのだろう。どんな言葉でもあらわすことができない、でもどんな歌にも存在する。それはそのときになって初めて自然と生まれた声、あるいは、間(ま)なのかもしれない。けれど確実になにかを表現している。そしていずれまた、はっきりとした道に出て、いやもしかしたらこのまま終わることだってあるのかもしれない。だけど、辿ってきたらここにやってきたのだからそれが僕であったのだろう。僕はそんな気がした。



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