恐れ煎り豆、はじけ豆
「恐れ煎り豆、はじけ豆〜」
雪水が流れる川の向こう岸で歌う少年はゆっくりお辞儀しながらその歌声を響かせていた。何に対して謝っているのか、それとも感謝しているのか僕にはさっぱり餃子炒めであった。
「恐れ煎り豆、はじけ豆〜…」
この歌はこの歌詞しかないんだろうか。途中、休憩をはさみながら彼はその言葉を何度も何度も繰り返していた。ちなみにその休憩中に少年が何をしていたかと言うと午前10時のぴかぴかな陽光で目頭を洗うように太陽の在処の方を向いて深呼吸をしていた。
「どこで知ったんだいその歌ー!」
「あそこに光っているのはエチオピア座ですかーー?」
「エチオピア座ーー?そうだよー!それだ!それに決まっているさー!」
その日僕は向こう岸に渡って少年と一緒に夜になっても、恐れ煎り豆、はじけ豆〜と歌って歌って歌い尽くしていた。そこには星の輝きとか街の騒音とか生きる意味とか人生の迷いとか美の象徴とか、そういうものはとにかくなんにもなかった。
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