パグの日記(3)

いったいこいつはWikipediaをメッセージアプリと勘違いしているのか?と僕の心に生きつづける爺ちゃんが呟いた。それは爺ちゃん世代の傲慢だよと僕は急造した新世代の余裕を見せつけ爺ちゃんの声を元の位置にしっしっと帰らせた。そして爺ちゃんが消えたのを確認した後、大きなため息をついた。それは、いつまでたっても無意識に爺ちゃんが現れてくるということのせいでもあったし他にも世代の空白を渡れないという人類の永遠のテーマに潰されそうになったせいでもあった。けれどハンモック浜とWikipediaの絡み合っていそうで全く一つの糸も見えない繋がりというのが一番大きい要因にも思えた。だから僕は地球の枠さえはみ出ていそうな問題は一旦後回しにして、とりあえずこの物語におけるWikipediaの役割について考えることにした。

感情面でいえば、僕は初めてと言っていいぐらいWikipediaを恨んでいた。なんなんだこれは、素晴らしい世界情報集合体、世の迷い人の第一情報源、世の大学生のこぴーあんどぺーすと源、数々の文章を紡ぎ上げ歴史を繋いできたWikipedia、君はどこに行ってしまったのだ、知らぬまに、と。けれど冷静な分析家として戦国時代に名を馳せた先祖をもつーとかつて婆ちゃんが言っていたけれどいまだ大河ドラマには採用されていないー僕は、自然この輪郭の掴めない事件の根本たる原因に向かって積極的推測をはじめていた。

まず一番最初に思い浮かんだのはハンモック浜であった。そもそも聞いたことのない浜であったのだから、まずそこからWikipediaは狂い出していたのかもしれない。そして次に考えられる原因は電動キックボードでハンモック浜に向かったことだった。僕はまるで電動キックボードを乗りこなしているという感を最初の方に醸し出していたけれど実のところ今回の旅が電動キックボード使用第一回記念であったのだ。電動キックボードの予約をするときなんてそれはもうものすごく緊張して予約確定ボタンを押すときなんて心臓はたぶん今外の世界はこの世の終わり的な出来事でも起こっているのか?という勘違いさえしてたと思う。でももしかしたらこれがWikipediaの歯車のスピードもしくはリズムを崩してしまっていたのかもしれない。というかそもそもWikipediaに歯車なんてものがあるかは知らないけれど。

僕は台風の後の浜のように散らかった要素を一旦大きなブルーシートで覆い隠すことにした。よしこれでここは綺麗な浜となった。ノーサイド&シーサイド。僕はもう少しいい目が出るサイコロを求めて振り出しに戻り、水色のハンモックに目をやった。いるじゃないか、パグ男。けれど彼はすでにハンモックに揺らされるだけのとある物体ではなくなっていた。彼の手は誰かへのプレゼントみたいに想いをこめて動かされ空になにかを描いているようであった。そしてそれはなんだか見覚えのある形であった。僕は解答用紙の漢字を丁寧にチェックするみたいに何回もその空中の線画を確認した。パグ男の視線の先に浮かんでいたそれは、まさしく数学という一人の体を突き抜け一つの国さえも越えていく果てしなさと力強さをあわせ持ったロード、その入り口や途中そしていまだかつて現れない出口にさえも、そんな至る箇所に堂々と君臨しているノンストップ自動料金収受システム、通称ETC、みたいな存在そう二次関数の放物線であった。


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