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水仙②

宿は頑丈そうな石塀で囲われどこか大きな寺のようだった。銀之助はぐるりと周囲をまわってみたくなったが暗くて何もはっきり見えそうになかったので明日の朝に天気が良ければまわろうと思った。

雨が優しく滴る門をくぐると受付には街で希望の歌を歌っていた若者と同い年ぐらいの肌白い痩せた長髪の男が一人座っていた。彼は終始、暗い瞳で銀之助の宿泊手続きをしてくれた。手続きを待つ間、銀之助は色艶のよい革ソファに座り込んでいた。

ロビーの北側には二つの背の高い木製サッシが立派な双子のように並び、窓全体から繊細な照明を従える広い庭園が眺められた。神秘的でどこか控えめな庭の奥には深い闇の如く眠る大きな湖の一部が見えた。

が、銀之助の二つの眼は月光に引き寄せられる虫の如く窓の隅に吸い寄せられていた。暖色の光があった。自然と人間の見事な融和の世界、その片隅に暖色の光を放つ小屋が隠されていた。小屋は湖のそばに生えていたのとは違う種の大きな樹々に囲われ、その中心から漆黒の天をそっと照らす淡い橙の光が昇っていた。光の中で雪に憧れた雨が舞っていた。

銀之助は受付の男に訊いた。

「あの建物はなにかな?」

タブレット端末の上で滑っていた若い男の細い指は動くのをぴたりとやめ、黒くてまん丸な瞳が銀之助の眼に精確に合わされた。男は無言で立ち上がり、つまらない世界を見下ろす鷹のような眼差しで銀之助に近づいてきた。


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