二〇一八〇一自(17)

今日は合同企業説明会に行く。このイベントは、開催地が大阪で比較的大きい規模であった。多くの企業が学生にアピールしようと、優秀な学生を惹きつけようとやってくる。学生も、いろいろな企業を知ろうと、またとりあえず行って安心感を得ようと参加する。
僕は、緑が特徴的な二両編成の京阪電車と大津から大阪までたった四十五分で連れて行ってくれるJRを乗り継いでその日の目的地に向かった。
電車に乗り込むと、四人席が空いていたのでその席に座った。ポケットからスマホを取り出し、数分後には脳内から跡形もなく消えてるであろうネットニュースを眼球に当てる。十分ほど時間を無駄にした後、かばんから島崎藤村の『破戒』を取り出し、ページをひらく。けれどすぐに、前に座る大学生オーラをまとう女性二人組が、誰かのSNSについて愚痴を言っているのが聞こえてくる。遠回しに互いを伺いながらその誰かを慎重に攻めている。
ネット上では、連日のように騙し合い大会が開催されている。参加者たちはその終わりのない勝負に挑みつづける。人間は、楽しむだけじゃもの足りず、その楽しんでいる自己を他人に見せつけないと心が満たされない。僕たちは、他人の頭の中に存在しなければ、生きている、存在しているということにはならないのだろうか。その他人も別の他人の頭の中に存在しようと必死で、自分以外のことなんてほんの一瞬しか考えないのに。
僕たちは繋がりすぎている。そのせいで、人間のことが見えすぎている。そのせいで、繋がりの薄さがはっきりと目立つようにもなっている。今までより本音、素、自分自身をだせる場所が増えたことはいい。けれどそんな場所でも、まわりの人の顔、表情を想像してしまう。そうして、本音に見せかけた嘘も生まれ、本音さえも偽っているのではないかと疑ってしまう。いつのまにか。とにかく、他人と自分との間にいる自分に費やす時間が多すぎて、もう一方の自分に費やす時間が少なすぎる。だからふとある時、一体自分はなにをしているんだろう、と不安になる。
また、名前という被り物を脱いだとき、人はやっと真の自分の姿、本質をあらわす。ネット上では、炎上というものが頻繁に起こる。実際のところ、消えない文字のせいであるけれど。ただ、その放火魔たちはほとんど多くの場合、自分の名前を隠している。なぜなら、その方が本当に言いたいことを言うことができ、いつも周りの皆の前では奥底に潜んでいる自分の姿を正直にみせても恥ずかしくないからである。放火魔の火をつける行為は一瞬にして終わり、傲慢にも少し時間がたてばあれだけ必死に燃やそうとしていたことをすぐ忘れる。彼らは、次の日にはもう忘れているであろう瞬間的な行為によって、相手の心を深くえぐる苦しみを与え、正義感に満ちあふれている。そしてまた放火の準備にとりかかる。
ネット上に一つの意見が出されると、すぐさまそこに群がる。その分野の専門家のように意見する。現実世界ではそんなことはできない。なにか質問でもされればそんな脆い知的な自分はすぐに崩壊してしまうからだ。でもここはネット上だから安心だ。相手には文字だけしか見えない。もし、これこれはどういう意味ですか?と質問されても大丈夫。グーグルで調べて文字を打てばいいだけなのだから。この世界では、知ってたと言えば知ってる自分にすぐになれてしまう。
一般的なレベルよりは資産に余裕を持つ人々が集まる株の掲示板。名前を隠した買い方と売り方が忙しく一喜一憂している。株価が上がった日は買い方が、下がった日は売り方と早々に売った者が、だから言ったじゃないか俺が正しかったと子どものように騒ぎたてる。情報を自分の都合のいいように解釈し相手を罵る。彼らは少なくとも大人である。けれど、名前を外したとき、世間の前では必死に押さえつけている傲慢で生き生きとした純粋な自分をみせびらかしている。
前の席に座っている彼女たちの声が平静を保っていた車内を無音の騒音のように流れる。彼女たちの話は止まらず、そのおかげで僕の中の丑松君の物語はまったく進んでいない。僕は読むことをあきらめ、目を閉じ深い眠りに入ったふりをしてそのまま過ごした。

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