二〇一八〇一自(26)

今日はため息がよくでる。過去、将来、人間、いろいろなことが頭に浮かんで、いやよく見てみるとはっきりとは浮かんでいないけれど、ため息がでる。なぜため息がでるのか、なぜため息をつくと一瞬楽になるのか。ため息をつくと幸せが逃げる、そんなことを中学の頃友人が言っていた。僕はなぜか今でもそれを言ってきた友人を覚えている。彼は今何をしているのだろうか。何かしらはしているのだろうけど、それは想像することしかできない。人間は想像ばかりする生き物だ。現実と触れ合うより想像していることの方が多いのかもしれない。
いつもより体、頭が重いこと、今そんなことを感じる。いつもとはなんなのか。今までの日常。今は日常ではないのか。時が経てば今は日常へと進化する。進化という表現は正しいのか。自然と頭に出てきた表現なのだから仕方がない。仕方がないことはよくある。仕方がないで物事を済ますのだ。これは仕方がない。なぜ、仕方がないことがこんなにも多いのだろうか。人はできれば仕方がないことは受け入れたくない。そう皆思っているのに、ものごとは仕方がないことになる。これが自然なのだ。自然とはあるがままのことだ。人間は自然なのだろうか。自然なのか。自然だ。やるんだ、やるしかない、やらざるをえない、こんな自分になりたい、こんなふうに思われたい、もう嫌だ、でもこれは好きなんだ、こんなことはみんな考える。つまり、思うこと考えることすることすべて人間として自然なんだろう。だからどうしたのだ、そう言いたくなる。でも、そう頭に浮かんだのだから仕方がないんだ、そう思ってしまったから仕方がないんだ。仕方がないんだ仕方がないんだうるさい。仕方がないんだ。仕方がないんだじゃないなんとかどうにかするんだ。その通り。だけれど仕方がないんだ仕方がないんだ。だから今日は何度でも繰り返したい、仕方がないんだ。




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