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再び、名人戦の舞台へ〜第82期挑戦者決定 豊島将之九段〜


名人戦第0局 浮月楼にて挑戦者決定の瞬間

2024年2月29日。名人戦挑戦者を決めるA級順位戦の最終一斉対局が静岡市の浮月楼で行われた。
先手菅井竜也八段 対 後手豊島将之九段の対局は、豊島九段が勝てば豊島九段の挑戦決定、菅井八段が勝てば豊島九段と菅井八段の2者または永瀬拓矢九段を含む3者で挑戦者決定プレーオフへともつれ込む大一番だ。

中盤は双方の思惑を潰し合ういわば“捻り合い”が続く。若干菅井有利という形勢でも、決して大きく崩れない、決め手を与えない豊島九段の巧妙な受けが随所に光った。
96手目、豊島九段が☖2五金を着手する。菅井玉の逃げ場は1ヶ所のみ。その後も豊島九段の攻撃が続く事は明らかだった。菅井八段は1分将棋となっており、「30秒…40秒…」記録係の秒読みの声が響く。50秒を知らせる声とほぼ同時に、「負けました」と菅井八段が投了の意を示され、豊島九段も菅井八段の思いを引き受けるかのように深く、長いお辞儀を返された。
この瞬間、第77期名人を務めた豊島九段が失冠から4年ぶりに名人戦の舞台へと戻ってくる事が決定した。

終局後のインタビュー

終局後、いつも通り取材記者に対する豊島九段の丁寧な受け答えからは、久しぶりの名人戦に対して驚くほど冷静に俯瞰しておられる事が伝わってきた。

第78期以来の名人戦登場という点ではいかがですかとの質問に、「以前に出た時からは結構…(少し間があり)かなり昔、という感じがします」と仰った。

将棋界8つのタイトルを8人で分け合う群雄割拠時代に自らが二冠、三冠と手中にすることで終止符を打った豊島九段だが、その後藤井聡太八冠が瞬く間に全てのタイトルを独占した。この4年間の将棋界はまさに黒船来航、維新ともいえる激動ぶりだった。
その混乱期においてタイトル戦で4回と、渡辺明九段の5回に次いで数多く藤井八冠と対峙し続けてきた豊島九段にとって、すっかり様変わりしたこの4年の歳月は棋士人生の中でも印象深く濃密で、かなり昔、と表現するほどに長く感じられたのだろう。

豊島将之九段にとっての2023年度

残りあと1ヶ月となった2023年度は、豊島九段の新たな試みがたくさんみられた1年だった。
2019年度に得意戦法の角換わりで令和初の竜王・名人へと駆け上がった頃とは戦い方も変化させ、公式戦で振り飛車や力戦調(定跡や前例を外すことで相手の研究から逸れるのが利点)を採用し、豊島九段が飛車を振った、と大いに話題を呼んだ。

そして多忙を極めるA級のトップ棋士ながら、半年間という長期間にわたりNHKの将棋講座で講師を務め、普及にも大きく貢献した。
自分では理屈で指しているつもりでいたが、いざ説明するとなると苦心したので、実は感覚的なものも大きかったのかもしれない、と朝日新聞のインタビューで講座を終えての感想を振り返っておられる。

講座の開催にあたり取り上げたご自身の対局の振り返り作業は、豊島九段の膨大な知識の整理と、普遍的で基本となる考え方を再構築する一助となったことだろう。
講座では局面の捉えかたや数の攻めといったテクニックへの的確な解説と、説明不足だと思われた所を放送後にXで補講ポストもしてくださった。
初段を目指したい初心者から、腕を磨きたい高段者まで多くのかたの将棋への理解と興味が深まったことは間違いない。

夢は見るものではなく叶えるもの

2024年1月2日、毎年正月の恒例となっている愛知県一宮市の後援会イベントに、弟子の岩佐美帆子女流1級と共に参加した豊島九段。
師弟で作った扇子には互いに「夢」と揮毫した。

初めてつくった師弟扇子に“夢”と揮毫した豊島師弟。「豊島先生が四段の時に、“夢”と揮毫した色紙をアマチュア時代にいただいていた」と話す岩佐女流。「文字を書いてくださいと言われたときに、浮かんだのが“夢”だったので、夢を書きました」と揮毫の経緯を教えてくれた。

https://www.ctv.co.jp/news/article/?541b3f1173c048a099c3771335130953

新年の抱負として挙げておられた「順位戦で挑戦者になること」を実現させただけではない。
2019年4月29日に行われた「岡崎将棋まつり」のトークショーに出演した豊島当時二冠(王位・棋聖)は藤井聡太当時七段への印象を尋ねられ、次のように答えている。
「彼が5年後か10年後かわからないですけど一番強くなるであろう時に、自分もなんとか戦えるようにしたいっていうのはずっと思っていて。」
「藤井さんがいるので結構長期的な目標とかも立てられるというか。自分はあまり長く活躍したい、とかいう気持ちは少なかったんですけど、彼がいるので。やっぱり戦ってみたい。」

やっぱり戦ってみたい。豊島九段の心からの言葉に胸を打たれる。
将棋界は熾烈な、過酷な生き残り競争の世界である。誰にも等しく訪れる棋士としてのピークと限界、どんどん若手が台頭し、世代交代を余儀なくされていく事は、現実問題として受け入れざるを得ない。
だがそれをも上回る、豊島九段の将棋棋士としての本能が、強い棋士と戦いたいという渇望に繋がるのだろう。
そして実際に、全てのタイトルを独占し全盛期を迎えた藤井八冠と、ちょうどこのトークショーから5年後の2024年4月に、最高峰である名人戦での対決が実現するのだ。狙ったゴールに向けて確実に仕上げる、身震いするほどの正確さは豊島九段が日々ご自身を律し、努力と鍛錬を重ねてきたからに他ならない。

進化し続ける豊島九段の第二形態

名人戦の舞台に立つには、A級順位戦で1位となるか、名人として防衛戦に臨むかの二択しか無い。
そして、このA級順位戦で1位となる事がいかに大変かを物語る興味深いデータがある。

将棋観戦記者の銀杏氏のポストで紹介された「名人戦に挑戦者として2回以上登場した棋士」は、1935年の第1期から今年で第82期の長い歴史の中でもたった12人しかいない。
顔ぶれは敬称略で1大山 2升田 3二上 4加藤 5米長 6中原 7谷川 8森内 9羽生 10郷田 11斎藤 12豊島 とスーパーレジェンド棋士がずらりと名を連ねる。

順位戦は1日制で持ち時間6時間と深夜に及ぶ長丁場である。苦しく悩ましい局面でも集中を切らさず、神経をすり減らし、最終盤では意識朦朧とする中で次々と秒読みの決断を下すという肉体・精神疲労とも戦わなければならない。
たったの12人というところに、その困難さを思い知らされる。
C級2組からのピラミッド構造の頂点A級に所属する名人と10名の棋士になるにも、棋士人生の全てを懸けても一握りの棋士しかたどり着くことができない。名人戦の舞台は棋士にとって最高に眩い、晴れやかなファイナルステージなのだ。

若さや瞬発力だけでは、この挑戦2回以上の壁は突破できない。そこを乗り越えるには、例えば斎藤慎太郎八段の詰将棋で培った驚異的かつ正確な長手数の読みのように、突き抜けた強みが必要となるのだろう。
豊島九段の場合は、柔軟に軽やかにアジャストし続ける能力と、努力を継続する才能が抜きん出ている。
将棋AIの可能性にいち早く着目し、将棋AIの感覚とご自身の感覚を上手く融合させたかと思えば、自分の得意戦法に拘らず、躊躇なく次々と新しい試みに飛び込む。
そうやって日々、現状維持ではなくもっともっと良くできると粘り強く取り組みを続けることで2回目の挑戦への扉を開いた。

第82期名人戦は、今年も春爛漫のホテル椿山荘東京で4月10日に開幕する。コロナ禍が明け、前夜祭等のイベントも盛大に執り行われるだろう。
豊島九段が名人を失冠した2020年の第78期名人戦は、コロナ禍により開催すら危ぶまれるなかで、開幕が4月から6月へと異例の延期となった。
決着局となった第6局は真夏の8月15日、関西将棋会館で行われた。通常であれば全国の温泉地や割烹旅館を巡る名人戦の趣き豊かな景色とはかけ離れており、棋界最高位の名人の戦いの場としては寂しさが否めず、あまりにも切なすぎる幕切れだった。
この日、15歳の誕生日を迎えたのが岩佐美帆子女流だった。ぜひ師匠にと熱望するほど尊敬する豊島名人の戦いぶりを、多感な彼女は一体どんな思いで見つめていたのだろうか。

失われた冠を取り戻す。4年前のあの日、不自然なまま止まってしまった時計の針を、もう一度ご自分の手で動かすために、豊島九段はずっと戦い続けてきた。
豊島九段の努力が花開き、応援するたくさんの人の願いと祈りを力に、来たる名人戦では素晴らしい将棋を指されますようにと強く願わずにはいられない。

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