最年少プロ将棋棋士・藤本渚先生のこと
※ヘッダーの写真は将棋連盟公式サイトより引用
私は中学生の頃、国語が好きで国語辞典や漢和辞典すら愛読する一風変わった(どうにかして贔屓目に見てもやっぱり変わっている)少女だった。
漢和辞典の外箱の中には、薄っぺらい冊子が補遺として差し込まれていた。普通の中学生なら必要に迫られなければ見向きもしないだろうこの冊子を、私はもちろん喜んで読んだ。そこで目にしたのが「渚」の文字。
記憶が曖昧なのだが、おそらくそれは昭和56年にJIS表記が見直された漢字の一覧表で、渚に点が一つ付く旧字体も紹介されていた。
風変わりな中学生とはいえ、松田聖子の「渚のバルコニー」はちゃんと知っていた。常に荒波で深い群青色の日本海に面した町で育った私にとっては、音の響きの爽やかさ、明るい陽差し、遠浅の海辺の光景が目に浮かび、将来子どもが産まれたら渚って名前をつけたい、そんな風に淡く憧れていた。
時が流れ、そんな事すらすっかり忘れていた私の前に、正真正銘の渚くんが現れた。
藤本渚四段。ピッカピカの17歳。青春ど真ん中の最年少プロ将棋棋士だ。
あっ渚くんだ!その瞬間に漢和辞典を眺めていた少女時代の記憶がフラッシュバックした。そういえば子どもが産まれたら渚って名前つけたかったっけ。もうそれだけで、実の息子のように勝手に親近感を持ってしまった。聞けば海の日生まれが名前の由来だという。
勝手ながら運命的な出会いを感じ、無条件で応援すると決めた。
迎えたプロデビュー戦。中村太地八段とのYouTubeでもお馴染みのアマ強豪である鈴木肇さんに対し、読売新聞の吉田記者をして「リトル豊島」と言わしめる王道の将棋で勝利を飾った。
吉田記者の竜王戦ブログ「とよぴー」呼びでの軽妙な記事は、私にとっては神のように思える豊島先生の親しみやすい一面を余すところなく表現してくださっていて、何度も読み返す。
まるで豊島先生に帯同して旅行しているような気持ちにさせてくれる文章を書く吉田記者が言うのだから間違いない。
豊島先生は醸し出す雰囲気そのものが独特で、とても真似できるものではない。(将棋界のエンタメ王・豊川孝弘七段が豊島先生の手つきをそっくりに真似しておられるのはお見事で名人芸の域だったが)
盤面全体を包み込むような静かな迫力の片鱗をもう見せていたのだろう。長年の番記者の目は何よりも信憑性がある。
そして今年のABEMAトーナメント2023に、千田翔太七段率いるチーム千田のメンバーとして藤本四段が抜擢された。チーム名は「シーソーゲーム」ご存知Mr.Childrenの大ヒット曲で、藤本四段の奨励会時代の思い出に由来するそうだ。
雑誌Numberには一流の作家・記者・コラムニストによる渾身のノンフィクション記事が集結する。近年ではスポーツ界にとどまらず様々なジャンルのアスリートを特集しており、将棋棋士も取り上げられるようになった。真理を目指して頭脳戦に身を投じ己を磨き続ける姿は、アスリートそのものだといえる。
そんな中で、朝日新聞北野記者のインタビューに答える藤本先生の言葉が印象に残った。
未来がどうなっていくのか。もしかしたら将棋の全容が解き明かされ、最適解の結論がでてしまっている可能性だってあり得るかもしれない。
それでも藤本先生は、今この瞬間に沸き立つ情熱を将棋に捧げようとしている。
先の事なんて誰にもわからない。ただ、今の自分が夢中になる気持ちに従って、真っ直ぐに進むのだ。眩しいくらいの潔さに、ハッとする思いだった。
約半世紀生きてきた私にとって、どこか自分が傷付かずに済むように、大きく期待しない事、先を見越して保険をかける事は無意識のうちに習慣化してしまっていた。自分を守るために情熱に蓋をし続けていると、いつしかどこにしまい込んだのかさえ思い出せなくなっていた。
藤本先生の情熱に感化されて、自分の本当の気持ちに少しずつ気がつき始めた。何かに夢中になれる事は、私の残りの人生でそんなに多くはないのかもしれない。
今、将棋という新しい世界と知識に興味津々な自分の気持ちを、今さらと誰かに笑われることを恐れず、しっかりと見つめて大切に育てていきたい。
藤本先生の大冒険への門出を祝い、前途洋洋であることを心から祈りながら。
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