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竜王戦プレミアム〜第34期竜王戦第1局2日目② 昼休憩後再開〜

竜王戦プレミアムの昼食休憩では自分史上最高に美味しいフレンチランチを渋谷の街並みが見事に見渡せるセルリアンタワーの39階でご馳走になった。よく晴れた青い空が広がっている。お腹が膨れ夢見心地だと人間やはり闘争本能が落ち着くのだから単純である。もう勝敗の事は忘れて楽しみたい気持ちも頭をもたげ始めたが、やはり豊島竜王には大事な開幕局に勝利して幸先よくスタートを切って欲しい。本日はこれで最後となる昼休憩後の再開観戦の為に気を引き締め、再度能楽堂前に整列した。

将棋は勝ち負けについて審査員が採点する訳でも審判のジャッジに影響される訳でもなく、全て対局者自らが選んだ指し手の結末を引き受ける。そこが潔くて将棋の魅力的なところでもある。この勝負の世界を生き抜いて竜王戦の舞台に立つ先生方の精神力の強さには憧れと敬服しかない。私は常々、もし戦場で戦闘に巻き込まれてしまったら、一番頼りになるのが将棋棋士の先生だと思っている。どんな状況に陥っても決して取り乱さず、可能性を信じて戦い続け、仲間に声をかけ続ける姿がすぐに想像がつく。

話が脱線したので元に戻そう。対局再開の観戦も観客が先に能楽堂に入室して先生方の入室を待つ。2度目なので朝よりは幾分緊張も和らいでいた。とは言っても呼吸音さえ憚られるような静けさにはなかなか慣れるものではない。しかしその分神経は一点に研ぎ澄まされる。豊島竜王の戦う姿をしっかりと目に焼き付けよう。自然と深くなっていく呼吸で集中しながらその時を待った。

藤井三冠の入室。朝と同じくシャッター音が響く中でゆるりと静かに着席される。デビューした頃から常にマスコミに囲まれているので彼にとってはむしろそれが当たり前の光景なのかもしれない。焦りや忙しなさ、勝負への気負いといったものも無く、穏やかに整った精神状態が伝わってくる立ち居振る舞いだと感じた。

続いて豊島竜王の入室の瞬間を待つ。橋掛かりの側ではカメラマンが大きいカメラを肩に担ぎ身じろぎもせずに立て膝でスタンバイする。カメラマンはありとあらゆる角度から撮影しようと重たい機材を抱えてすごく辛い態勢を取っておられ、舞台の裏側の大変さを感じた。このようにして自分たちは放送や写真を拝見できているのかと思うと改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。

僅かな足音さえ聴こえるほどの静けさの中では、楽屋裏に人影が揺れるだけでその気配を察知できる。ほどなくして豊島竜王が登場した。入室ではなく登場という言葉がぴったりする。真っ直ぐに背筋を伸ばし橋掛かりを歩いてくる姿が能舞台の格調高さと相まって美しい。自信、威厳。四字熟語で表現するならまさに威風堂々だ。棋界最高位のタイトルホルダーであるという事を自ら誇示せずとも体中からオーラになって立ちのぼっているように見えた。対峙するだけで怖気付いてしまうような風格が客席まで伝わってくる。キリリと引き締まった表情からはいよいよ開始される対局に向けてしっかりと準備ができていると感じた。

立会人の中村修九段の発声のあと対局が再開された。既に中盤の難解な局面に差し掛かっており、事前に一手も指すところが見られないかもしれませんと説明を受けていたが、何よりこの対局の場に立ち会えることに胸がいっぱいで全く問題なかった。豊島竜王の表情がよく窺える舞台向かって左側に着席した私からは、細かい視線の動きなどもつぶさにみて取る事が出来た。

この時も能楽堂内に天井カメラからの盤面モニターがある事に気づかなかった私は、局面が見えないとはいえ豊島竜王の落ち着いた表情から、指しやすさや若干の優勢を認識しているのではないかと感じていた。藤井三冠が体をゆらゆらと前後に揺らして読みのリズムを取るのに対し、豊島竜王は殆ど動きが無い。伏し目がちに盤面を眺める、下がってきた眼鏡を持ち上げる、時折顔を上げて遠くに目をやる程度だ。その表情だけを手がかりに、今この瞬間にどれほど深い思慮が続いているのだろうと見えない盤面を思い、ただ尊敬の気持ちで見つめていた。

そしてついに訪れた無情のアイコンタクトタイム。笑顔で退室を促す係員の方に現実世界へと引き戻された私は、ルーティンのように勝守りに手を添え豊島竜王の勝利を念じながら出口へと向かった。扉を開いて退室する最後の瞬間、もう一度能舞台へと振り返った。もし来年以降もこの場で運良く観戦出来る機会があったとしても、今このお二人の対局を側で感じられるのはこれが最後だ。そう思うと名残惜しく、視線を送らずにはいられなかったのだ。

能楽堂を退室し途中楽屋入り口には対局者の昼食(実物!)が展示してあったのだが、そこで読売新聞社の若杉カメラマンに遭遇した。至近距離で初めて拝見した彼はすらりとしたとても素敵なかただった。このかたのセンスによってあの素晴らしい第33期竜王戦写真集が生まれたのだと思うと感慨深かった。若杉カメラマンが表現する美しい対局の写真集への期待で早くも小躍りしたくなる気分だった。必ず2冊以上買おう。

対局はこの後も豊島竜王の優勢が続くなか、勝勢に持ち込ませない藤井三冠の粘りから僅かに勝利の手掛かりを掴み取った藤井三冠の勝利となった。しかし世間では結果だけが報じられてしまうことを非常に歯痒く感じた。勝敗だけ決めるのであれば2日間もかけずとも最初からジャンケンでもいいのである。不利な後手番で序中盤をこれほど上手く指し回していた豊島竜王の素晴らしさをお伝えする手段が無いことがもどかしかった。しかし後日のインタビューで藤井三冠がこの第一局について反省と共に豊島竜王の指し手に考えさせられたと発言されており、感謝の気持ちと共に彼の対局者への敬意を忘れない謙虚な姿勢に心打たれた。

実はこの対局に関してはABEMAの中継放送を殆ど観ていない。あまりにも大切な記憶なので感じたままで綺麗にしまっておきたいのだ。自分にとっては生まれて初めての素晴らしい体験だった。2ヶ月前の出来事なので前後したり勘違いしている部分があるかもしれない。しかし、鮮明に焼き付いた幸せな記憶は、今でも思い出すたびに私の心を温かくしてくれている。来期、挑戦者としてこの能楽堂に戻って来られる事を願い、豊島先生を応援し続けることを心に誓っている。

引き続き初参加した大盤解説会のエピソードは③の記事で紹介したい。毎回長文となってしまい恐縮だが、ご多用の中でお読みいただけることが大変嬉しく、かけてくださる優しい言葉に感激している。(③に続く)



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