見出し画像

お〜いお茶杯第63期王位戦を終えて

将棋のお〜いお茶杯第63期王位戦は、9月6日に藤井聡太王位の4勝1敗で幕を下ろした。前期のリベンジを果たすべく研鑽を積み重ね、再びこの舞台へと戻ってきた豊島将之挑戦者は、あと一歩及ばなかった。
このように書くと、え?藤井聡太さんの圧勝でしょ?と思ったかたがきっといるはずだ。そんなかたにとっては私がこれから書く文章はピンとこないし、的外れだと思われるのだろう。

報道はその媒体により限られた時間や文字数の制約の中で客観的事実を述べる必要があり、藤井先生だけではない、豊島先生も素晴らしかったのだと伝えきるには難しいこともある。
ただ、このお2人の戦いをそんな風に一方的にしか観ないのはあまりにももったいなくて、どうしてもお伝えしたい衝動に駆られ、この文章を書いているということを最初にお断りしておきたい。

藤井先生と豊島先生。前期の王位戦では豊島先生につけられた「最強の刺客」というキャッチコピーが良くも悪くも物議を醸したが、今年は昨年とは様相も立場も変わった。一方は五冠、一方は無冠の九段である。

開幕前の予想では藤井王位の防衛が濃厚だとみられていた。それぐらいに現時点では藤井先生の能力が突出しているという評価だった。
熱烈な豊島ファンの私でさえ、ワンサイドゲームとなる可能性もあるかもしれないと覚悟は決めていた。それによって豊島先生と共に最後の瞬間まで戦い抜くという決意はさらに強まり、緊張で全身をこわばらせながら開幕局を迎えた。
そこで我々は序盤から驚くべき展開を目にすることになる。

先手番となった豊島挑戦者が歩の頭に桂を放つ電光石火の攻撃を仕掛け、しまいには飛車までをもどんどん捨てていく。私の頭の中では宮本広志五段が以前に豊島先生がカラオケで歌っていたと仰ったB'zの「LOVE PHANTOM」がぐるぐる流れた。いらない何も捨ててしまおう…いや、あまりにも無謀では、豊島先生ご乱心なのか…。
この展開にはさすがの藤井先生も意表を突かれたのだろう。持ち時間を大幅に消費し、文字通り後手後手にならざるを得なかった。
2日目も豊島先生が着実に優位を維持したまま進行し、最終的には持ち時間を約1時間半を残して勝利された。豊島先生の深く緻密な研究の賜物とも言える素晴らしい内容だった。

五冠のよもやの敗戦。しかし、この流れを引きずることはなく、藤井王位が続く第2局、第3局を制した。
豊島先生が勝てばタイに戻る第4局直前、これまでも徹底した感染対策に努めておられた豊島先生が、新型コロナウイルスに罹患するという非常に残念なアクシデントが発生してしまった。
よりによって大切なタイトル戦の最中である。第一報を受けた時、私は思わず天を仰いだ。なんとしても早くお元気にとひたすら毎日祈りを捧げた。
一心に快癒を願うたくさんのかたの気持ちが届き、豊島先生は無事に回復された。徳島市・渭水苑の対局場検分に変わらぬ姿を見せた時の気持ちは言葉では言い表せなかった。

とはいっても復帰初戦で準備も万全とは言い難いなか、豊島先生の後手番で迎えた第4局。敗れたものの最後まで意欲的な手を尽くした豊島先生は立派だった。対局前後には各方面へ第4局の延期のお詫びを述べ、誠実な振舞いをみせる姿に、やはり棋界の第一人者に相応しい棋士だと改めて感じた。

そして迎えた正念場の第5局。豊島先生はここで敗れると挑戦失敗となる。私は時にはTV画面に向かって正座しながら、ただ祈るように戦況を見つめた。
見事なまでに終盤まで均衡を保つお2人の指し回しは圧巻としか言いようがない。しかし、ついに均衡が揺らぐ瞬間が訪れた。

101手目、豊島先生が選んだのは後手の銀の打ち込みから自陣を守る☗8七角ではなく、1筋から自陣を睨む目障りな1三の角に狙いを定めた☗1五歩突きだった。
感想戦でこの時AI推奨の最善手☗8七角を選んでいれば、まだ勝負の行方はわからなかったと聞かされた豊島先生は、その手は浮かばなかったと仰った。それを聞いて、あっと気づいた。なぜ端攻めを選択されたのか。

豊島先生はおそらくその時、9八の角を自陣の守りにではなく、5筋方向の敵陣攻略へと活用する狙いで検討しておられたのだ。攻撃は最大の防御という言葉は豊島先生にピッタリだといつも思うのだが、ここでも豊島先生は藤井先生の攻撃の手が緩んだ一瞬を見逃さなかった。

わずか1分で決断し、指された☗1五歩。たとえ後からこの手が疑問手だったと言われたとしても、私は豊島先生らしい攻めの一手に心から感動した。そして捕獲した角を打ち込み馬と成った瞬間には、普段感情の起伏が少ない私が思わず拳を突き上げてガッツポーズをするほどに歓喜した。
ファンの期待を裏切らない豊島先生が魅せてくださった、ご自身の真骨頂とも言える迫力満点の一手だった。

終局後の報道については、やはり冒頭に書いた通りだった。私も決して偉そうに意見できるほどの棋力は無いが、おそらく将棋に詳しくないかたが書いたであろう記事も含め、一方的な賞賛になることは昨年の十九番勝負の苦い経験から予想はついていた。

SNSをはじめWEB上にはプロ棋士も含め様々なかたの対局への感想が飛び交っていた。中には目を疑いたくなるような見当違いな文章に憤りを禁じ得ないこともあったが、次に向けて気持ちを切り替えて私も応援をもっと頑張らねばと強く誓い、必死に気持ちを奮い立たせていた。

そんななか、救世主が降臨された。
国民的大スター、羽生善治先生だ。決着局の翌朝、ご自身のTwitterアカウントで対局者双方を讃えるコメントをツイートしてくださったのだ。

無意識のうちに気を張っていた私の心が一瞬で柔らかくなった。そしてたったこれだけの文字に涙が溢れて、何度も読み返した。

豊島先生、よかったですね。あなたが憧れて背中を追いかけた羽生先生が、強かったと褒めてくださっています。尊敬するかたに認められるのは本当に嬉しい事ですね。そう思うと、後から後から涙が出てきた。
豊島先生の不断の努力を、長い不遇の時代を乗り越えて花開いた経緯を知る人間としては、羽生先生の言葉は優しく、誇らしく、深く心に刺さった。

第63期王位戦。藤井聡太王位が4勝1敗で豊島将之挑戦者を退けて防衛。
この味気ない事実だけの文字の中には、伝えきれないたくさんの感動と、対局者お二人が織りなした美しくも熾烈な棋譜が詰まっている。
幸いにも5局全てをリアルタイムで観戦できた私は、この素晴らしいシリーズのことを事あるごとに思い出しては、ずっと語り続けていきたい。
藤井先生と豊島先生。お2人の次のタイトル戦が待ち遠しくてたまらない。そしてその日は必ず近い未来に実現すると信じている。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?