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竜王戦プレミアム〜第34期竜王戦第1局2日目①封じ手開封〜

第34期竜王戦第1局は2021年10月8日・9日に5年連続5回目のセルリアンタワー能楽堂で執り行われた。竜王戦プレミアム銀将コースに幸運にも当選した私は2日目朝の封じ手開封と昼休憩後再開時に能楽堂で観戦する事ができた。当選人数は30人程度。能楽堂に居合わせたのは両対局者と立会人、報道関係者合わせても40人強だろうか。お伝えする事であの美しい場面の記憶をもう一度甦らせたいと思う。

集合時間は午前8時20分。封じ手開封と観戦は午前8時40分から午前9時20分。対局開始が午前9時なので対局者が10分前に入室するとして姿を拝見できるのは僅か30分。瞬きもせずにいよう、とはやる気持ちを抑えながら入場列に並んだ。観客の年齢層は30〜60代くらい。男女比もほぼ半々だろうか。私はシルバーグレーのブラウスにガウチョパンツ、一粒パールのロングネックレスという装いにした。対局者の集中の妨げにならないようにとモノトーンを意識した。

係の方から飲食も会話も一切禁止などの注意説明を受け、携帯電話の電源を切り能楽堂へと一列で誘導される。楽屋を通り橋掛かりを横手に見ながらついに能舞台の正面に到着した。客席は照明が落とされ能舞台が暗闇の中に明るく浮かび上がって見える。老松の背景と赤い敷物の色合いが鮮やかなコントラストだ。舞台の真ん中には将棋盤。本当にここに来られるのだという実感を噛みしめる。座席は指定が無く自由だったので私は豊島竜王の表情がよく見えるようにと、上座方向が見やすい舞台向かって左寄りに着席した。

驚いたのはこの能楽堂内に40人程がいるにも関わらず誰も微動だにしない静寂ぶりだった。カメラマンだけが忙しく動き回り対局者の入室を待つ。空気が揺れる。藤井三冠の入室だ。シャッター音が響くなか緊張した様子もなく立会席に一礼して音もなくふわりと座る。自然体そのもの。どかっと男らしく座る感じではなく静かな立ち居振る舞いだった。

そこからおそらく3分程度で豊島竜王が入室されるのだが、この3分間がとにかく長く感じた。藤井三冠は2019年ニコニコ超会議や2020年朝日杯を有楽町マリオンで観戦した際に姿を拝見した事があったのだが、豊島竜王は全くの初めてだ。豊島竜王がまもなくお見えになる。唾を飲み込むタイミングを忘れる程にぎこちなく胸の高鳴りを抑えながら緊張の時間を過ごした。

橋掛かりの奥の鮮やかな色調の揚幕が引かれ、豊島竜王が足早に登場された。主役が揃った事で対局場の緊張感が更に高まるのを肌で感じる。豊島竜王も立会席に一礼し紫色の袴の裾をさっと捌いて着席する。和服を着慣れておられるからか所作に無駄がない。双方礼をして駒を並べ終わった後、前日の棋譜再現が開始された。記録係の読み上げの声と共に一手一手パチリ、パチリと駒音がはっきりと能楽堂内に響き渡る。私の視線は豊島竜王一人に釘付けだった。駒を持つすらりと伸びた指先の美しさは想像以上だった。立会人の中村修九段が封じ手☖8四飛を読み上げ、2日目の対局が開始された。

初めて拝見した豊島竜王は、強い覇気のオーラが漂うかただった。自分がTVや写真越しに観ていた時のイメージでは華奢でしなやかな印象を持っていたが全く違った。所作はキビキビとして直線的で男らしく、盤面を見つめ、時折目を逸らして上を見上げて思考を続ける眼差しからは静かでブレない集中力の強さを感じた。能楽堂の客席は舞台より下にあるので盤面は見えない。そこで天井カメラからの盤面映像が映し出されるモニターがちゃんと用意されていたらしいのだが、私はそのことにすら全く気づかないまま豊島竜王の存在感と美しさにただ圧倒され続け、目を奪われたままだった。

自分が呼吸をしているのか、窒息していても気づかなかったのではないかとさえ思えるほど集中した時間が流れ、係の方がアイコンタクトで退室を促してきた。私は用意してきた勝守りを握りしめ、豊島竜王どうか良い将棋を指されますようにと声にならない祈りを捧げ、おぼつかない足取りで能楽堂を後にした。予定としては昼休憩後の対局再開時にもう一度観戦できる。しかしもうこの時点で尋常ではない緊張感を味わい、情けないことにグッタリと消耗していた。この雰囲気の中で盤を挟んで丸二日間戦い続ける先生方はやはり気力も体力も備えた特別な能力者だと痛感した。

最高峰の竜王戦という舞台で繰り広げられる将棋。ここに辿り着くことを許された選ばれし将棋棋士二人の文字通りの真剣勝負。血は流れないのだが一瞬の油断も許されない、殺陣のように張り詰めた空気を生まれて初めて味わう事が出来た。能楽堂・竜王戦という条件が重なってこの素晴らしい勝負が生み出されるのだと感じた。そしてこれを経験した棋士は必ずまたこの最高の舞台に立ちたいと願う原動力になるはずだ。

長文になったので昼休憩後の再開の観戦については次回の記事に書きたい。ぜひ次回もご覧になって頂きたいのだが、この1日を通して伝えたい事はただ一つ、将棋の対局とはかくも美しいものなのかという感動だ。お互い物言わぬ静寂の中、一心に思慮する姿、駒を動かす所作、二人の想いが渦巻く盤面。静かに流れる時間の中、日々に忙殺される私にとってそれはまるで美しい絵画鑑賞のように心が洗われる光景だった。(②に続く)



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