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2023将棋日本シリーズ JTプロ公式戦 北海道大会観戦レポ


距離は理由にならない

2023年9月21日木曜日の夜。私は札幌市内にいた。9月23日に札幌コンベンションセンターで行われる将棋JT杯の受付時間に間に合わせるには、このタイミングで北海道入りするしか無かったのだ。

私が住む富山県から北海道へは、富山空港から直行便はあるものの、到着が14時過ぎと受付時間に間に合わなかった。
北陸新幹線で東京に向かい、羽田発の翌朝便に乗るには、21時台が最終リミットだ。今年は異常な残業続きで、最終新幹線に乗れる可能性がかなり低かった。ましてや休暇を申し出る空気ではとてもない。

ただ、どうしても北海道へ豊島先生の応援に行きたかった。近いから行く、遠いから行かないという選択肢ではないからだ。
私にとって、誰よりも尊敬し、応援してやまない豊島先生の対局が観られるなら、何としてもそこに辿り着きたかった。

前前乗りなら、ギリギリ仕事仲間に迷惑をかけずに立ち回れるかもしれない。諦めるのを前提として考えるとそこで考えがストップしてしまうが、どうしても行くんだとなると猛烈に知恵が働く。
無事に新千歳空港に到着した時には、ささやかな達成感だった。私は慎重過ぎてチャンスを逃したり、あと一歩の勇気が足りなかったりがとても多い。後から悔やむくらいなら、少しくらい無茶でも、自分のやりたい気持ちを大切にしてみたい。

1時間並んだ深夜のラーメンの背徳感が堪らない

とよぴー先生効果

会場の北海道コンベンションセンターへは他の公開対局会場のようなトラップも無く(そもそも私が方向音痴の疑いが濃厚だが)地下鉄東西線東札幌駅から矢印の看板の案内に従ってスムーズに到着した。
12時55分、受付番号順に1列で大人しくゆっくりと進んでいた隊列が、会場内に誘導された途端、小走りに、機敏な動きに豹変した。より前列からすかさずゲットされていく。呆気に取られているとみるみるうちに座席が埋まっていく。まるでリアル椅子取りゲームだ。そう言えば私は子供の頃から椅子取りゲームが苦手だった。
もちろん前のかたを押すなどの危険行為は厳禁だが、次回からは会場内に入った瞬間にセンサーを張り巡らせ、空席を察知できるようにしようと、かなり後ろの方の座席になってしまった事を反省した。

13時15分、対局者がスーツ姿で登壇された。1月の朝日杯名古屋対局以来8ヶ月ぶりの豊島先生、変わらずとても姿勢良く、立ち姿が美しい。糸谷先生とは長い付き合いでもあり、その強さを知っているので思い切りよく指したい、今日は楽しんでくださいとにこやかに話された。
豊島先生は、普段よりも声の張りとトーンも高めだった。NHK将棋講座の講師を務められてからは特にオフィシャルな場でのご挨拶が流暢になったと感じる。先生、このトーンでぜひ感想戦も、と一瞬思ったが、あの何を言っているのかまるで理解できないテレパシーの飛ばし合いのような感想戦(特に藤井豊島戦)が先生の良さなのかもしれない、と思い直した。

糸谷先生の丁寧な話しぶりは棋士会役員等で板についている
駅のホームにいらしたら3度見はしそうな佇まいの豊島先生

未来のこども棋士たち

プロ公式戦に先立って行われるこども大会決勝は、特に低学年部門は母性(父性)本能が暴走するのを制止不可能だ。誰と来ましたか?おかあさんです(可愛い〜この年頃だと母とですなんてまだ言わないもんね)と、頬が緩みっぱなしだ。
ところがひとたび将棋が始まると、「勝てる気がしねぇ」(名台詞・スラムダンク仙道の「負ける気がしねぇ」の真逆)。見た目に騙されてはいけない。豊島先生が小学一年生の頃、脇健二九段との指導対局で飛香落ちの手合いでメッタ斬りにしたというエピソードが思い浮かんだ。
解説の木村一基九段に促されて進行する感想戦も、大局感を的確に捉えていて、2人とも本当に頼もしかった。
高学年部門は流石の内容。将来は棋士を目指しているそうで、奨励会入りを見据えて本格的に取り組んでいることが窺える。こんな風に素晴らしい将棋を指すこどもたちを見ていると、将棋文化も安泰だと思える。
優勝者には低学年では初段、高学年では二段免状が授与された。羽生善治会長、藤井聡太竜王名人の署名入り免状はきっと誇らしく、これから将棋を頑張る励みにもなることだろう。

2年前と同じ…殿上人のオーラ

いよいよプロ公式戦。対局者が和服で登場された。堂々とした体躯に茶系のワントーンでスッキリとまとめられ、日本男児ここにありといった風格の糸谷先生。
対する豊島先生は、白地に光沢がかった羽織が照明を落とした空間に浮かび上がるように鮮やかだ。
羽織紐や合切袋に至るまで繊細なデザインで統一されてはいるが、それが豊島先生の骨のある内面と相反する事で不思議な魅力を醸し出している。
2年前、セルリアンタワー能楽堂に現れた豊島竜王を初めて見て、一目で心を射抜かれた時の衝撃が蘇った。

名高い大店の若旦那といった凛々しさの糸谷先生
盤に向かい着座し、和服の襟元を整える一連の所作が
洗練されている豊島先生

豊島らしさ全開、潔い後手からのゴング

振り駒の結果、先手糸谷、後手豊島で対局が開始された。駒が1枚もぶつからず、お互いが似たような地点を行ったり来たりさせる待機戦術を取る。豊島先生の将棋をたくさん見てきた私として、後手だから無理せずというのは理解できるものの、何となく展開として、豊島先生ご本人が好ましくは思っておられないように感じていた。

もちろん、後手番の千日手狙いもそうだが、戦術として異論を唱えるつもりはない。だが、私がずっと感じ続けた違和感が、62手目でついに解消した。
8六歩を突き捨てるタイミングは大事です、と将棋講座で仰っていた通り、後手の豊島先生から☖8六歩と駒をぶつけていったのだ。

局後の感想戦で豊島さんから仕掛けていきましたねと木村九段に尋ねられ、勝算ははっきりとはしませんでしたがと、膠着した局面を打開していった時の状況について話された。

のらりくらりと指し回すのが特徴の先生なら、私はここまで豊島先生の将棋に夢中になっていなかったかもしれない。結果として敗れたものの、果敢に自ら攻めを選んだ豊島先生ご自身にきっと後悔の念は無いはずだ。今期続く好調ぶりを維持し、次に繋がる戦いだったと感じている。

木村一基九段の名調子

木村一基九段の解説は、どこを切り取っても、全てが的確でユーモアもあって、場の空気を巧みに操り、まさに話芸の域に達しておられると改めて実感した。
序盤、自玉を行ったり来たりさせている糸谷先生に「酔っ払ってたでしょ」と茶化す絶妙なセンス。これには対局者も思わず大笑い。
木村先生がいらっしゃると、シビアな空気にならないように配慮しつつ、両対局者の指し手の狙いやその良いところなどを丁寧に解説して頂けるので、たとえ敗戦した側の棋士を推していてぺしゃんこに凹んでいたとしても、魂が救われるような司会進行だ。

木村先生の笑撃に耐えかねて破顔する豊島先生

現地観戦への特別な思い

優に500人以上の観客が、静かに息をひそめ、駒音すら聞き取れるほどに集中して対局を見守る。
棋士にとって和服で盤の前に座ることは、タイトル戦など晴れの舞台に限られ、特別な感慨をもって対局に臨んでおられることだろう。

畏怖の念を禁じ得ない、凍りつくほどの覇気は、特別な場所と空間でしか見ることができない。
日頃はにこやかな表情や虚無⁈な困惑顔で愛される豊島先生も、対局中は悟りを得た高僧のように静かな表情ながら、勝負に対する強い気持ちがオーラとなって立ちのぼっている。
真剣勝負に臨む棋士の迫力に圧倒され、何度だって見たくなる。画面越しではなく、直接その息づかいを感じられる現地観戦は、観る将にとってやはり特別な機会なのだ。毎年無料でこの素晴らしい棋戦を開催してくださるJT様には感謝してもしきれない。

翌朝、新千歳空港の出発ロビーで豊島講座の最終回を名残惜しい思いで視聴しながら、将棋という素敵な趣味を持てた事、素晴らしい先生を応援できる事に心から感謝していた。
次はどこで豊島先生の対局を拝見できるのだろう
か。楽しみにして多忙な毎日を乗り切りたい。

新千歳空港は雲ひとつない快晴。豊島先生も視界良好!

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