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地球代表は熱かった〜将棋棋士 深浦康市九段〜

2022年5月31日関西将棋会館。
第63期王位戦挑戦者決定戦の対局開始の瞬間を、全国の将棋ファンが大きな注目で今か今かと待ちわびていた。
対局者は前期挑戦者の豊島将之九段と、新人王も獲得し新進気鋭の実力者である池永天志五段。勝ったほうが藤井聡太王位への挑戦権を獲得する文字通りの大一番である。

豊島ファンの私は、緊張でいてもたってもいられない中でABEMA中継画面を凝視していた。その時、携帯の画面が光る。Twitterからの通知だ。記録係が対局開始を告げるのとほぼ同時に、私はそのツイート主を確認して驚いた。第5回ABEMAトーナメントで豊島先生のチームメンバーである深浦康市九段だったからだ。

送信時間はAM9:59。深浦先生もご多忙な中、対局開始のAM10:00ちょうどに合わせるようにツイートを送る誠実さ。女性ならば間違いなく、いや男性であっても嬉しくてキュンキュンしてしまう心遣いだ。

豊島先生はこの声援にも後押しされるかのように、171手の大熱戦を制して前期に引き続き王位挑戦者となった。対局後にお礼のリプライを送った豊島先生のツイートは、いつになく弾んでみえた。力こぶ、地球、ペンギンの絵文字が並ぶ。
力こぶは見事な筋肉美の丸山忠久九段、地球は地球代表で知られる深浦先生、ペンギンは豊島先生ご自身で、チームメンバー3人なのだろう。ポーカーフェイスでいつも沈着冷静な豊島先生の嬉しさが伝わってきた。

深浦康市先生。実は2021年の豊島藤井の十九番勝負までは、私は恥ずかしながら先生がどんなかたなのかを詳しくは存じ上げなかった。
ソフトで紳士的な語り口、解説も非常に丁寧で、TV番組や立会人、大盤解説会などあちこちで引っ張りだこの先生だ。お見かけする機会が増えた事で、少しずつ人となりを知ることとなる。

今現在は藤井聡太先生に勝ち越している先生として「地球代表」というニックネームが定着しているが、タイトル戦の間は対局相手のことばかり考えるので恋愛と似ている、というコメントをされたことからも「恋愛流」とも呼ばれている。

タイトル戦の宿泊先で、対局相手の羽生善治先生が露天風呂に迷い込んだ小鳥を逃してあげたという話を聞くや、張り合うかのようにご自身でも小鳥を探されたというエピソードなどは微笑ましく感じていたが、知れば知るほど深浦先生が歩まれた将棋道は決して平坦ではなかった。

数多くの棋戦優勝を果たしながらも、初タイトルの王位を獲得したのは35歳と、同時期に10代から将棋界のスーパースターとして注目され君臨していた羽生先生によって、苦労の絶えない道程だったことは容易に想像がつく。タフで粘り強い棋風はきっとこの頃に積み重ねてこられた気の遠くなるような地道な鍛錬があってこそなのだろう。

先の豊島藤井十九番勝負では、ABEMA中継の解説者としても出演されており、長い考慮時間の合間にはご自身のタイトル戦経験などを交えて軽妙なフリートークを披露してくださる。私がその中でも印象的だったのは、2012年に米長邦雄将棋連盟会長が逝去された際、豊島先生をはじめ関西所属の若手棋士が、関西から葬儀が行われた東京へ駆けつけてくれた、というエピソードだった。

政財界や芸能界と幅広い交流で親しまれた米長会長の葬儀には約2000人の弔問客が訪れるなど、深浦先生も連盟理事として対応に追われる中で、わざわざ関西から来てくれた若手棋士たちの気持ちが心強かったと話された。
当時20歳そこそこの若手棋士たちが、しっかりと一致団結して礼を尽くしてくれたことで、将棋界はこれからも安泰だと感じたそうだ。

忠義の人。深浦先生を一言で表すならそれが相応しい。人との繋がりを大切にし、長崎県出身のご自身を弟子にとって下さった花村元司先生の恩に報いようと、九州出身者を率先して弟子にされることでも知られている。九州地区での普及活動にも、忙しい中で熱心に取り組まれている。

深浦先生の情熱的な一面を強く感じたのは、2022年8月3日、第6期叡王戦第2局豊島叡王対藤井二冠戦の解説での発言だった。
飛車を失う窮地に立たされた豊島先生が91手目、22秒の考慮で歩頭にタダ捨ての5四銀を放った時のことだ。「いいですね、豊島さん。魂こもってますね!」深浦先生が嬉しそうに叫んだ。藤井先生にとってもおそらく全く予想外の手だっただろう。

この時の叡王戦は王位戦と並行して行われていた為、王位戦第2局から対藤井戦3連敗中だった豊島先生は、この対局を制して連敗をストップし、叡王戦を1−1のタイに戻した。

最善手ではない。でも人間が指す気迫が乗り移った一手は、対局相手や解説者、観戦する人間の心を揺り動かす。私はこの対局の後も、ずっと深浦先生が褒めてくださった5四銀のことが忘れられなかった。そしてそれをいい手だと仰った深浦先生の底知れない情熱を、第5回ABEMAトーナメント予選Cリーグで目の当たりにすることになる。

第4回ABEMAトーナメントではチーム菅井の一員として参戦され、予想外の予選リーグ全敗という成績だったが、本戦トーナメントではチーム藤井の藤井聡太リーダーに対して値千金の一勝を手にされた。その際に奥様からパワーストーンを渡されたというエピソードを披露され、爆笑と共に話題となったが、実力を発揮できずにご自身もさぞ不本意で、悔しく思われたことだろう。

深浦先生は第4回大会の鬱憤を晴らすかのような獅子奮迅の活躍で、チーム広瀬に2勝1敗、第9局のフルセットにまでもつれ込んだチーム山崎に対しては3勝0敗と圧倒的な強さで、しかもプレッシャーのかかる最終第9局での勝利により、チーム豊島を予選突破に導いた。

その対局姿勢たるや、己を奮い立たせるようにご自分の頬を叩きながら盤面に向かわれるなど、チームを思う、勝利に対するあくなき情熱がほとばしり、圧巻の一言に尽きた。これほどまでに熱い気持ちを全面に出して立ち向かう深浦先生がただただ、眩しかった。

豊島先生としては、竜王名人、竜王叡王の2冠という最強のタイトルホルダーの一角でありながら、なぜか過去2回の大会では越えられず鬼門となっていた予選突破を、参加3年目にして初めて果たした。

「豊島さんは、こんなところで終わる人ではない。必ず本戦で活躍してもらいたい。」
深浦先生は対局前にも後にも繰り返しインタビューで仰っておられた。
私にはそれが、昨年無冠となった豊島先生に再びタイトルを手にし、大空を優雅に舞えるようにと深浦先生が鼓舞してくださっているかのように聞こえた。

団体戦とはいえ、チームを離れれば公式戦は個人戦であり、敵同士である。深浦先生はなぜここまでして豊島先生を励まそう、勇気づけようと頑張ってくださるのか。
憶測に過ぎないのだが、若かりし日の深浦先生のご自身の苦悩、なかなか結果が出せず、羽生善治という強敵相手に苦しんで立ち向かったからこそ、現在の揺るがぬ実力を手にした経験を、この生真面目で真っ直ぐ将棋が大好きな若者に伝えたい。
仁義に厚い深浦先生のことである。きっとそう思っておられるからに違いないと私は信じている。

ご自身も三連覇を遂げたタイトルである王位戦で、深浦先生は今期第2局の立会人を務めることが決定している。前期の第62期では決着局となった第5局の立会人を務めておられたが、今年は豊島先生がチームメンバーとして深浦先生の目の前で、翼を取り戻した鳥のように力強くタイトル奪取に向けて羽ばたくことを願ってやまない。

立場としては中立の立会人である深浦先生も、両者の熱戦を期待して心から声援を送ってくださるだろう。6月28日の王位戦開幕が待ち遠しい。そして、例年通りであれば7月末から開幕するABEMAトーナメント本戦でも、熱い棋士深浦先生のイズムに感化されたチーム豊島が大活躍する姿を、ぜひ目撃したい。

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