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お〜いお茶杯第63期王位戦第2局レポート 札幌市・定山渓温泉

新聞広告欄に掲載されるパッケージツアー。季節のフルーツ狩りや寺社巡りなどがお手ごろな価格で盛り沢山、かつ効率よく観光を楽しめるように工夫が散りばめられている。旅程を眺めて想像するだけでも楽しく、子供の頃からこの欄をチェックするのが好きだった。

そんな私がある日、目にしたのが「将棋対局観戦つき温泉ツアー」の文字だった。なぜか強く興味を引かれた。将棋を対局室で観戦できる、という特別感が、将棋を指すわけではない私だからこそ、より魅力的に映ったのかもしれない。

私は考えが浅く、感情が顔に出やすい。ポーカーやオセロなど、ことごとく弱い。ババ抜きなんて無意識のうちにジョーカーを凝視してしまう。自分に無いものを持っておられるかたには憧れてしまう。私にとって将棋棋士は知性と冷静の最高峰におられ尊敬の眼差しでみる存在だ。

ツアーの詳細は思い出せないのだが、対局観戦の後、大盤解説が聴けて温泉に入れて、といった内容だった。いつもは眺めるだけなのにこの時は行ってみたいという衝動に駆られた。しかし将棋を指さない私が場で浮いてしまったらと葛藤し、最後の勇気が出なかった。

当時は今のように観る将、という言葉も定着しておらず、将棋や将棋棋士が観たいという夢を、おおっぴらに話せる雰囲気もまだ無かった。

行けなかったツアー、会えなかった将棋棋士のことはそれから何年も私の心のどこかでずっと消えない小さな願いとして燻り続けていた。
それが、藤井聡太先生をきっかけとしてじわじわと、豊島将之先生との出会いではっきり自覚できるまでに大きくなった。

豊島先生が挑戦に向けて王位リーグを戦っておられる最中の4月、王位戦の対局地が発表された。
行くしかない、あの時の願いを今ここで叶えなければきっと後悔すると、私にもう迷いは無かった。

運良く宿泊予約が取れ、休暇を頂けた私は2022年7月14日、第63期王位戦第2局の開催地である北海道・定山渓温泉「ぬくもりの宿 ふる川」へと到着した。その名の通り渓谷の緑に包まれた騒々しさとは無縁の静かな温泉地だ。

15時のチェックインまでに1時間ほどあった。2日目午後の局面は既に終盤戦。封じ手開封から評価値に差がついていて70-30で聡太先生有利となっていた。それでもこのお2人のことだ。このまますんなりとはいかないはずだと信じて、少し近くを散策する事にした。

ぬくもりの宿 ふる川の正面玄関
豊平川のせせらぎが響く静けさ
カッパのオブジェがあちこちに飾られる
対局室が用意された「心の里 定山」

対局室は周囲を木々に囲まれた離れの建物内にある。普段の将棋会館のようにサイレンや時報のチャイムが流れることもなく、集中出来る最高の環境だと感じた。青空と緑のコントラストが美しかった。

途中ABEMAの撮影班とすれ違い、副立会人の中村太地七段がご当地ゆるキャラの「かっぽん」と中継VTRを撮っている場面を観ることができた。太地先生は撮影の後、足早に対局室へ戻って行かれた。機動部隊として大忙しの先生。立会人の深浦康市九段はじめ大勢のスタッフの皆様がこの大舞台を支えている事を改めて感じた。

定山渓温泉PR隊長かっぽんと談笑する中村太地七段

対局検分後の記者会見で、豊島先生は第2局にかける意気込みについて、自分らしい積極的な将棋を指していって熱戦にしたいと仰っていた。
居飛車同士の後手番で、さらにトップ中のトップ棋士でありミスを出さない聡太先生が相手となると、後手番の僅かな不利を挽回するのにも相当神経を使う。そして思い切りよく踏み込まなければなかなかその差を埋めることはできない。

1日目から2時間55分、昼休憩を挟んでいるのでほぼ4時間に迫る大長考をみせた豊島先生は、終始一貫して積極的な姿勢を崩さなかった。大長考の末に指した54手目1五香、そしてその勢いのまま飛車取りに切り込んでいった56手目1八成香には、自玉の危険を承知の上で覚悟を持って飛び込んだ勇敢さを強く感じた。

私が豊島先生に強く惹かれる理由のひとつに、目の覚めるような強烈な勝負手を放つ果敢な棋風がある。それはおそらく豊島先生の勝負師の本能であり、損得勘定や理屈では説明のつかない迫力に満ちた手だ。

以前に羽生善治先生が豊島先生との対局を振り返り、自玉の真後ろに飛車を据えた手(玉飛接近すべからずという将棋のセオリーにそぐわない)を見て、あれはAIの手ではない、豊島さん独自の発想ではないかと仰っておられた。対局相手も舌を巻く豊島先生の勝負手が、この2日目にも炸裂した。

後手の下段玉の逃避行を許さじと二段目に包囲網を張った聡太先生の飛車に対し、攻め駒として大事に使いたい銀を5一に打ち込んで足止めしたのだ。まだ可能性は残されている、思い通りにさせてなるものかという気迫の一手に痺れる思いだった。

後手玉に詰みがなければ大きく開けた1筋2筋方面からの入玉も目指せる。勝負は最後まで白熱した展開となった。
マスコミ各社の記事では、早い時間での投了も囁かれ始めた局面から豊島先生が持ち直し、最終盤まで熾烈な戦いを繰り広げたことに触れ、いずれも両者を讃える内容だった。

このお2人に関しては実力伯仲しており、どの対局もハイレベルで見応えのある将棋となる。決して一方的な決着とはならない。星の数こそ昨年は聡太先生に軍配が上がったが、将棋の内容としては僅差の熱戦が殆どだった。

豊島先生と聡太先生。両者の才能がお互いの才能をますます磨き上げていくのを目の当たりにすると、昨年の十九番勝負からずっと観戦し続けてきた私はただ、感動で胸が震えてしまう。互いを高め合う素晴らしい好敵手同士なのだ。

終局直後の豊島先生の写真が主催新聞社の公式Twitterで紹介されたが、あっと胸を打たれたのは、豊島先生の澄み切った表情だった。
2日間を戦い抜き、疲れが無いはずはない。しかしそれよりも将棋に対する強い探究心が勝るのか、キラキラとした眼差しに圧倒される。

中日新聞 東京新聞Twitter(@chunichishogi)より

今年3月の浮月楼A級順位戦一斉対局で、午前3時過ぎに終局した時の豊島先生の表情を見て驚愕したことを思い出した。志高く打ち込むプロフェッショナルの信念の強さが、目に強い光を宿すのかもしれない。

第2局を終えて1勝1敗のタイとしたお2人の暑い夏は来週からも続いていく。私はこの素晴らしい番勝負をリアルタイムで観戦できる幸せを噛みしめながら、この文章を書いている。

翌朝には偶然、旅館を出発するタイミングでバスに乗り込む先生方のお姿を拝見することができた。我々が温泉旅館を後にするときのくつろいだ表情とは違い、お2人ともキリリと引き締まった勝負師の表情が印象的だった。

真っ直ぐ前を向いて颯爽と通り過ぎて行かれた豊島先生は、もう次局を見据えておられるのだろう。勝負の余韻が残った力強くも頼もしい背中を見送りながら、現地で応援できて本当によかったと心から思った。

ほんの一瞬ではあったが、確かに目の前におられた先生に素晴らしい将棋をお見せくださったことへの感謝の気持ちをあらわすことができた。

私の夢だった将棋の対局観戦と温泉旅行は、ついに叶えられた。ふる川さんの美味しい食事と温泉も堪能できた。おいそれと参加できるようなお財布事情ではないものの、私にとって他のどんな事よりも深い感動があり、明日から自分も頑張ろうと勇気づけられる素晴らしい経験ができた事は、何ものにも替え難く、プライスレスでしかない。

来年も、再来年も、その先もずっと。進化し続ける豊島先生をタイトル戦の大舞台で観ていたい。タイトル挑戦や防衛を果たしてくださるように、これからも全力で豊島先生を応援しようと心に誓った。
2泊3日の北海道将棋観戦ツアーは私にとって、ワンシーンごとに鮮明な記憶が蘇る素敵な思い出として、心に刻まれた。

富良野牛を石焼きで頂く 旨味が口いっぱいに広がる
海鮮は期待を裏切らない美味しさ
心の里 定山にて 対局者が見ていた風景

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