中学受験~アラフォー司法試験まで、受験人生を振り返る。
みなさんこんにちは。
アラフォー司法受験生のボーダーです。
R5司法試験を受験し、今は結果発表待ちです。
このブログでは司法試験体験やら受験生活を振り返っています。
今回は自分の中学受験からの受験人生を思い出してみようと思います。
中学受験
記憶もかなり薄れましたけど、四谷大塚に週末行ってましたね。
4年生の中頃から勉強始めた記憶があります。
算数がすごく好きで得意でした。
特に面積を求めたり、角度を求めたりする問題が好き。
でも勉強はしてませんでしたね。
サッカー少年だったので、もっぱら放課後もサッカーしてました。
15時くらいに学校が終わって、17時過ぎまでサッカーして、その後家帰って急いで塾に行くって感じですね。
週3くらいは19時くらいから塾があった記憶があります。
勉強は、基本的には塾と家で1,2時間やったかどうかくらいだと思います。
テレビも見てたし、がっつり勉強した記憶はありません。
週末は、四谷大塚のテストを朝受けて、その足で試合会場に行くって感じでした。車でユニホームに着替えて、すぐ試合に出る感じ。
中には試合中に間に合って、途中から出るとかありましたね。
四谷大塚は、たしか正会員と準会員というヒエラルキーがありました。
私は下のクラスの準会員。成績いいと正会員になれるってシステムだったと思います。
そんなゆるーい感じの受験だったので、特に中学受験で疲弊したことはありませんでした。つらい記憶もありません。
学力も大したことなかったので、受験はするけど、受からなければ普通に公立行くつもりでした。
サッカー少年だったので、受験したのはサッカーの強豪の暁星やら国学院久我山やら。桐朋、城北も受けましたね。当然全滅。今思えば合格可能性5%もない記念受験でしたね。
結局、公立行くつもりだったんですが、1月の早期受験で合格していた埼玉の学校に行くことになりました。
大学受験
中高一貫だったので、高校受験はありませんでした。
6年ぶりの大学受験。
高校でも勉強をする習慣が皆無だったので、基本は再試で進級をする感じ。
高校2年生終わりの冬休みから受験勉強を始めました。
受験期間は1年ですね。
あまり覚えてないですが、予備校に週3くらいで通いました。
そして、そこで人生初めて彼女ができました。
6年男子高だった私にとっては夢のような時間。
完全に、恋愛>>>>>>>>>>>勉強 です。
予備校でも、ほとんど彼女とおしゃべりをしていた記憶しかありません。
予備校=デート
成績も、英語が偏差値38とかでした。当然勉強したことがないので。
国語が48とか。
でも世界史が得意だったんです。
世界史が偏差値60以上ありました。
ここで18歳の私は考えました。
どうやったらどこかの大学に引っ掛かるか。
無理とは分かってるけど、できればMARCHとか行ってみたい。
そして、決めた戦略が、「全てマークシート形式かつ英語の配点が大きくないMARCHの学部を大量に受験する」ってことでした。
数打ちゃ当たる戦略です。
親不孝な息子です。
今思えば受験料も一校あたり2,3万円はしたと思います。
それを12,13個受けました。
中央大学にいたっては3つ受けました。
そして、当時から私の決めたこと、それは「合格発表は掲示板に絶対に行く」。
今回の司法試験も絶対に仙台まで見に行きます。これは大学受験時代から一緒ですね。
大学受験の合格発表は本当に全部行きました。
そして、最初の5,6校までは、彼女と一緒に見に行きました。
でも全部落ちました。帰りは超気まずかった記憶があります。
特に中央大学は山奥だから遠い。
気を遣わせるのは申し訳ないと思い、後半の発表は一人で行きました。
あまりに毎日不合格なので、発表見に行くのも緊張しなかったです。
期待もしてなかったです。
そうしたらMARCHの一つの学校に受かってたんです。
掲示板に番号があった時はびっくりしました。
大学受験は12分の1って感じですね。
親の財力を基盤とした戦略勝ちだったと思います。
でも、正直受験勉強を頑張った記憶もないので、私の人生うれしかったランキングの中でもトップ10に入りません。圏外ですね。
暗黒の5年間。簿記1級&公認会計士試験
つらかった。。。。。
中学受験や大学受験は勉強がつらかったという感想はほぼありません。記憶にもないし、夢で見ることもないです。
でも、簿記&会計士の勉強は辛かった。。。。。挫折しまくりです。
私は合格した大学が商学部でした。
それきっかけで、簿記を始め、会計士試験に進みました。
大学3年くらいの時だと思います。
もちろん、簡単に一発合格する気持ちでした。
でも、、、、結果として5年以上勉強することになってしまいました。。。。。
自分の馬鹿さ加減に自暴自棄になったこともありました。
簿記1級は2回落ちて、3回目でやっと受かりました。この時点で会計に向いていないことに気付けばいいのですが、そのまま進んじゃいました。
会計士は短答式に3回連続で落ちました。
周りの同級生たちの中でも3回連続での短答落ちはレアでした。
辛かった。。。あの時が人生の底だったと思います。
24歳。無職。短答3回落ち。
あまりにどん底で、人と会うのを断つために、昼夜を完全に逆転させる生活をしたこともありました。
会計士試験にとって簿記は、司法試験でいう民法です。
結局は簿記を制する者が会計士試験を制します。
その簿記が苦手すぎたのが長引いた原因でした。
簿記はマジで難しかったです。
連結会計やら税効果会計やら、、、、本当に宇宙の話をしているくらい難しかった。。。。。
司法試験でも伝聞やら共犯やら色々と難しい分野もありましたけど、私にとっては連結会計が一番難しかったと思います。
結局、会計士試験は4回目で短答と論文をストレート合格できました。
霞が関の金融庁での合格発表
あれは今でも鮮明に覚えています。
会計士試験は番号だけでなく、名前が書いてありました。
自分の名前を見つけた時は、圧倒的人生トップで嬉しかったです。
興奮しすぎてその日のことはほとんど覚えていません。
発表の5日後からは監査法人の就職面接が始まります。
合格した友達と一緒に急いでスーツを作りに行ったことを覚えています。
それがどれだけ幸せだったか。。。。。あんな幸せな時間は今後ないかもしれません。11月8日、またあんな経験をしたい!
法科大学院、司法試験
大学の時は水道橋のLECで勉強してました。
「受かったら一生勉強しないぞ。水道橋は一生来ないぞ」
当時はそう思ってました。
それが、まさか十数年後に再びLEC水道橋に行くことになるとは、、、、、
ひょっとしたら私は勉強好きなのかもしれないですね。
アラフォーで始めた司法試験への道は、法科大学院に合格し、ちゃんと単位も取り、受験資格も得て、短答式も突破しました。
司法試験の勉強時間は3年2ヶ月で約7000時間費やしましたが、おおむね予定通りに来てます。(会計士試験は、超遠回りをした結果、12,000時間くらい費やした気がします。相場の2倍はやりました。)
会計士受験勉強は私にとって極めて貴重な失敗体験でした。
この失敗体験があったからこそ、順調に司法試験までたどり着くことができたと思います。
一番学んだ大きなことは国家試験が、「相対試験」であることです。
いわゆる合否ボーダーですね。
同じような国家試験を経験していたので、この合否ボーダーのイメージを持っていることは私のアドバンテージだと思います。
具体的な合格イメージは「諦めずに書き切れば合格する」。というものでした。
そう、書き切れば受かるイメージです。だって、多くは初日からのサバイバルを生き抜けません。緊張やらプレッシャーやらでやられます。最後まで粘って書き切った者が受かるゲームです。
そして、7月の5日間の司法試験でも、この目標をちゃんと達成することができました。
今、2023年9月時点で、司法試験の論文発表待ちです。
おわりに
以上、私の人生の受験ヒストリーをご紹介しました。
振り返ると、思った以上に不合格が多かったです。。。
でも、司法試験の一発合格が目の前に来ました。
昔の自分と今の自分では何が違うのか。
「分析と戦略」があったかどうか、だと思います。
試験って、頭がいいとか、学歴とかより、圧倒的に「分析と戦略」が大事だと思います。
試験合格の本質って、「分析と戦略」です。
自分の考える試験の分析と合格戦略を言語化して話せない人は合格難しいと思います。
24歳の時の私はこれが全くできていなかった。
それが長引いた理由ですね。
もしあなたが今、合格というゴールが見えなくなっているのだとすれば、今すぐ個別コーチをつけて、分析と戦略を一緒に作ってみてください。
ゴールが見えない中で、やみくもに走っても、私のように長引くだけです。。。。。人生の記帳な時間を失ってしまいます。もったいない。
最後はおせっかいになっちゃいました。
ではまた。