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応援される人になるのではなく、応援されるまでやりぬきたい

こんばんは。今週はプライベートでの経験が仕事での自分の気持ちを軽くしたエピソードを書きたいと思います。

最近わたしは仕事で辞めたことがあります。それは、人の顔色をみることです。

もちろんチームの方針をインプットして、組織の方向性を意識して行動することはやっています。ただ、自分は目標を追う際にあまりにも、「誰もやっていないことをやったら嫌がられるのではないか」とか「ちゃんとこの行動は方針にあっているのか」「誰かに迷惑をかけないか」を気にしすぎていました。さらには「目標が達成できない」ことで、誰かの迷惑になってしまっていると自分を追い詰め、仕事へのモチベーションが下がってしまいました。

だけど、いくら人の目を気にしたところで、自分の目標が達成されるわけでもない。目標達成のために、自分がなにを出来るのか、誰のアドバイスをきくのか、自分の意思で決めようと決意しました。そう決めた後、仕事はずいぶん楽になった気がします。そして少しずつ結果もついてきました。

なぜ、人の顔色をみることを辞められたのだろうと考えた時に、おそらく今企画をしている、コルクラボの文化祭の読書会での経験がいきたのかなあ、と。

応援してくれてる人もいるけど、ちゃんと本番の集客ができるのか不安な部分もある。それでもわたしは「じゃあ、みんなの意見に沿うような企画になおそう」と1mmも思いませんでした。
自分はこの読書会をやりたいという気持ちが強いので、応援しない人が仮にいたとしても、やり続けるだろうと確信しているからです。

そこで気づいたことは、仕事の自身の受け身の姿勢でした。わたしは心の中で「自分が周りの期待に応えられるために」頑張っていました。それは見かけは綺麗ですが、周りが応援してくれないとできない、とさじを投げることと一緒です。応援される人になるために頑張る、のではなく「応援されるまで自分の意思で道を切り開く」方が主体的になれるし、自身の気持ちも楽になることに気づきました

今仕事では、1on1の使い方を自分で決めたり、なるべく自身の頭を使いながら仕事をするように意識しています。プライベートでの出来事が、自身の仕事の仕方につながり、まだまだ成長できるなと手ごたえを感じています。

これからも人が応援するから行動する、ではなく応援されるまで自身でやりすぎることを意識したいと思っています。

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