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人から受けた傷は人でしか癒せない

昨日、ネットでとある書き込みを読んで勝手に傷つき、落ち込み眠れなくなってしまった。周りからしてみたら「自分あてではないメッセージに何をそこまで勝手に傷つくのか」と思うかもしれない。でもわたしの中では到底許せるものではなかった。関わってもっと傷つくのが嫌で何もできない自分がもっと嫌になった。

わたしはなぜか人との距離感にめちゃくちゃ敏感な気がする。それで、自分の身を守ってきた自負もある。その代わり、わたしは適度な距離感をとれず刃のような言葉をかけた相手は即身を引く。一度傷ついたことを言われると修復しようと絶対にしない。

なぜなら人と適度な距離感をとれず、傷つくことを言ってくるひとは人との距離感がバグっているのだ。そんな人は往々にしてそれに気づかないことが多く、二度目三度目もこちらが傷つく可能性が高い。これはわたしが大学生時代に付き合っていた彼氏より学んだ。
最初はそんなことを言ってこなかったが、何度もわたしのことをネタにして人前で笑うようになっていた。きっと色々ストレスが溜まっていたんだろうなと思う。当時は愛情があったし、いつか気づくと思って色々注意したけど、当時は治らなかった。自分で気づくしかないんだとその時に感じた。

その時は気づかなかったけどわたしは深く深く傷ついていたのだと思う。ある日夫がわたしの大学生時代の写真をみて、「とてもかわいいね!きっとモテたね」と言ってくれた。大学生時代、わたしは自分自身のことをブスだしデブだと思っていたからびっくりした。ただよく考えると「ブスだしデブ」と思っていたのは、当時の彼氏に「もっとかわいくなってほしい」とか「早く痩せなよ」と言われていたからだとその時に気づいた。「かわいいよ」と言ってくれた夫のおかげで、自分を卑下する呪いが10年越しに解けた気がした。

そんな感じで、人から受けた言葉の傷はナイフのようにじわじわと、心をえぐっていく。殺されるわけではないけれど、血が気づかずにどくどく出続けて、時間が経った頃に相当の傷を受けていることに気づくのだ。

1番最初に書いた、ネットの書き込みについてもそうだった。読んだ瞬間はざらっとした気持ちがしただけだった。でもその日の夜寝られずにしんどくなって、やっと自分が傷ついているのだということに気づいた。ずきずきと痛む心を認識したとき、わたしは誰と話すのも怖いと思うようになってしまった。

でも矛盾しているけど、誰かと話さないと癒されないということも分かっていた。「ブスでデブ」の呪いを解いたのは時間でも、お金でもなく、わたしの夫だったから。それでもきっかけを自分でつくるのが怖く、びくびくしていた。

今日そんな中でゆるりと話す機会があった。他の人にはなんてことない時間だったけど、わたしにとっては温かくて。なんだろう。ただただ人と話して、自分が居るということが許される空間にいるだけで傷は少し癒える気がした。自分という存在が、そのまま受け入れられている感覚
きっと自分がこころに傷を受けるのは「自分を否定されているとき」なのだと思う。あなたは存在しちゃだめですという否定。だから、その逆が出来ればよくて、それはやっぱり人という存在でしか出来ないことなんだなあと気づいた今日だった。

これからも傷つくことはあるけれど、そのたびに傷ついたことをなかったことにしないで、認識をして、自分を受け入れてくれる場で癒そうと考えた1日だった。




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