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「1歩を踏み出す強制」は悪では無い

わたしは旦那さんを縛らない、と決めている。自分も縛られるのが嫌いだし、基本的に相手の考えは尊重したいから。それで仲違いすることはなかった。

だけど、選挙に対する姿勢が全く違ったのには本当に困った。私は選挙は行くものだと言われ育てられてきたけれど、彼は「選挙なんて行っても無駄だから行かなくていい」と親に言われて育ってきた。だから彼と暮らし始めて初めての選挙、もちろん行くものだと声掛けたら
うん?選挙って権利があるだけで義務ではないよね。わざわざ行くの面倒だよ」と言われた。

彼の答えも一理あるし、選挙に行って欲しいのはわたしのエゴかもしれない。むむむ。とても悩んだ。1人で行けばいいし。
だけど本当にそれでいいのだろうか?好き勝手に暮らしたい、という人ではなくあくまで学があって、仕事をして、社会貢献していく彼が政治に全く興味を持たなくていいのか。1人の声がどう社会に反映されるのか興味がなくていいのか。
お節介だけど、わたしは良くないと思った。

ということで可哀想だけど、半ば首根っこを掴み、わたしが彼の分の投票券も持って投票所まで連行した。
投票所でもぶつぶつ「こんなことしても意味無いのになあ」とボヤいていた。ちょっと罪悪感があった。

都議会議員選挙の今日。今回も同じことを言っていたけれど、「選挙に行かないと白米を炊かないからね」と半ば脅し今回もほぼ無理やり連行。今回は「意外とすぐ済むんだね!」とちょっと前向き。

そんな中、先ほどから選挙の速報を見ていた。旦那さんは自分の住んでいる区の速報を見て「あ、議席はこんなにあるんだね!」と驚いていた。「誰が当選するのかなあ」と少し興味を持っていた。

やらないと興味すら持てない

わたしは当たり前のことに改めて気づいた。

人の自由意思を尊重すべき。最近そんな意見が多い。無理やり勉強させるのは良くない。無理やり本人に何かを強制せず、自分の意思に任せるべき。

けれど選挙のような国にとっても大きな出来事は、誰かが背中を押すべきなのではないか。1度でもいいから行ってみようよ!と。

勉強だって義務教育だからやって、嫌になる子も沢山いるけれど、それがきっかけで楽しいと思う子もいる。体育だって義務教育に含まれてる。
選挙は義務ではないけれど、国の方向性を考える大切な機会だ。とりあえず行ってみようよ、を周りのひとと話す機会が沢山あればいいのになあと思う。

投票に行かないと、興味すら湧かない

30代の投票率は50%にも満たない。それなのに、街頭で「自分に投票してください」のお願いをしても響かないと思う。その前に「とりあえず選挙に行ってみない?」を言ってくれる身近な人をたくさん作ることが先だと思う。

色々考えさせれる出来事だったので稚拙な考えだけど、まとめてみた。

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