ボーダー 二つの世界/Gräns

(アリ・アッバシ監督 2018年 スウェーデン/デンマーク)

みなとみらいのイタリアンバルにて、前菜とビール。
日ノ出町の台湾料理にて、メインと瓶ビール。
野毛のバーにて、シングルモルト。

「ボーダー」のなさを超え、異形であるほど純粋

「ぼくのエリ 200歳の少女」が素晴らしかったヨン・アイビデ・リンドクビスト原作。みなとみらいにあるkino cinemaにて。ミニシアター系に特化した、席も広く居心地のいい劇場だった。

北欧の気質は、少数派に対する「ボーダー」のなさを超え、異形であるほど純粋ということなのか。10年程前に訪れたKirunaの水色とグレーに染まった空気を思い出すと、森の奥で説明のつかないことが起こっていてもおかしくないと思わせる。

隙の無い作りではあるが、途中で話が読めてしまった。心を嗅ぎ取れる能力は「彼」に対しては効かなかったのか?とも思った。電子音がうまく混ざった音楽は、ストーリーを適温に調整する役割を担っていた。特殊メイクは、一旦Aphex Twinに見えるとそうとしか見えなくなった。

散見される「シェイプ・オブ・ウォーター」に似ているという感想には、僕は同意しない。「シェイプ..」は、観客が置いてきぼりになる位の100%の恋愛映画であるのに対し、今作はもっと個人的な社会派作だ。

(安田寿之)

-

復讐しない。聖なる境界を司る存在として生きる。

「ボーダー 二つの世界」は、北欧の国々の伝承の物語に登場する“トロール”を題材にした映画である。北欧では誰もが知る親しみのあるキャラクターが、この世界に存在していたらどうなるかをリアルに描いた一種のファンタジーだ。

この映画の魅力は、主人公ティナのキャラクター造形の面白さに尽きるといっていい。まず風貌がネアンデルタールのようであり、自然の中で生き、動物たちと心を通わせ、昆虫を食す。そして人間の恥や罪悪感、怒りなどを鼻を利かせて察知するというエスパーのような特殊能力を活かし、スウェーデン国境の税関職員を務めている。さらに、性別が男と女で逆転している。外見は女であるがペニスをもっていたり、男にはヴァギナがあり子を宿すのだ。そのうえ、身体の中に鉄分が多いのだろうか。雷に打たれやすいという特徴をもつ。身体の構造がまるで違う星からきたエイリアンのようだ。

染色体に欠陥があると言われ醜い人間として育ったティナが、同じ容貌の男ヴォーレに出会うことによって正常な“トロール”であるという自己発見をし、一時は自分たちを抑圧・虐殺してきた人間に憎しみを抱くが、ヴォーレのように復讐するのではなく、愛を育てるために生きる選択をするという成長物語になっている。

ティナは、優等人種と劣等人種、男と女、善と悪、国と国など、いくつものボーダーライン上で生きる存在だ。境界(ボーダー)は差別や分断を生み出すが、一方で異なる価値が交わるところであり未知なる世界に出会う聖地にもなる。多様な価値観をつなぐティナは、境界を司る巫女のような存在になったのだと解釈した。ラストに近づくにつれ、心なしか神々しく見えてきた。

個人的な感想として、ティナのキャラクター造形は基本的に面白いんだけど、性別の逆転の要素を入れたことはちょっと出来の悪いSFのような突飛な印象があり、せっかく積み重ねてきたリアリティを台無しにしてしまった感があった。きっと現代のLGBTの要素をストーリーに取り込んだ結果だと思うが、この要素がない方が物語の本質的なところが伝わったのではないかと思った。

(小沼一志)

-

おぼろげな境界線

「ボーダー/2つの世界」の物語は、スウェーデンの国境を守る税関で始まる。特殊な能力を持​った税関の女性職員ティナが、その特殊な能力で、国境の向こうから入って来る法に触れる物品​ばかりでなく、危険な感情の持ち主までもかぎ分けて、国境を守るという職務を遂行していた。​しかし、自身によく似た風貌の男ヴォーレと出会ってから、彼女を取り巻くさまざまなボーダーラインがおぼろげになっていく。

ヴォーレとの出会いにより、ティナは自らが「染色体異常者」ではなく「トロール」という存在​であることを知り、北欧の大自然の中にトロールとして生きることの誇りや喜びを見出していく​が、かき消された記憶の断片を辿るうちに、自身の種族が人間に酷い迫害を受けてきたことを知​り、激しく心をかき乱される。反社会的な輩たちに手を貸すことで人間への復讐を遂げようとするヴォーレ。しかしティナは税関職員としての職を全うしようとする。

そもそも、正義と悪、美と醜、そして正常と異常といった相対する2つの要素を隔てるボーダー​ラインというのは、いずれか優位な方のグループに属する者が、自分の立ち位置を正当化するた​めに都合よく設けたものであって、全体を俯瞰で見たら、あるいは大自然の摂理の中で見たら、​実は意味のないものなんだ、そんなメッセージが込められているような気がする。それゆえか、物語りの締めくくりも勧善懲悪的なものではなく、国境を越えて新たな生命がもたらされることで、また新たな物語の展開が予感される。

ところで、物語の中で多少蛇足的に思えたエピソードの、ヴォーレが実は雌体でティナが雄体だ​ったということや、無精卵で生まれたゾンビベイビーのくだりも、「北欧神話のファンタジー」と​「実社会の物語」という相対する要素が併存する物語の中に入れ子状に仕込まれた、一貫性のあ​るコンテンツ(「男と女(オスとメス)」「生と死」)だったのかもしれない(このくだりで緊張感が途切れてストーリー展開がユルくなった気がしたが…)。また、原作・部隊が北欧でありながら、​監督がイラン出身というのも興味深い。イランといえば、欧米メディアの報道では一方的に悪者​扱いされているが、これも本作の見方になぞらえて俯瞰で眺めると…というのが最大のオチだったりして。そう考えると、結構ち密に構成された、なかなかの野心作じゃないか?! ★7.5

(石井裕)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?