フレンチアルプスで起きたこと/Turist

(リューベン・オストルンド監督 2014年 スウェーデン/デンマーク/フランス/ノルウェー)

雪崩が審らかにした家族への不信は、自分自身へのそれだと気付く女

ほつれが広がり、大きな傷口になり、回復に向かう家族の物語。ではない。

最初から妻には不信感があったのだ。それを審らかにしたのが雪崩である。結婚しているのに奔放な女客と口論になるのは、その人物がユングの言うところの典型的な「影」だからだ。心の奥底で、そうなりたくて仕方ない。夫へだけではなく、家族という形への不信感が予めあった。仲良しのふりをして、写真など撮られたくない。

彼女のイライラは、まさに自分自身へ向けたものである。もしあの時夫と席が逆だったら、夫は動線上子供を抱きかかえていたはずで、自分が逃げていたかもしれない。いや、そんな行動は自分に限ってはない。絶対と言えるか?そんな堂々巡りで、消せない可能性に苛立ちが募る。

ラスト近く、吹雪の中の遭難は、彼女の自作自演だろう。夫に自分を助けさせる機会をお膳立てし、空気を変えるきっかけを作ったのだ。そうでもしない限り、かりそめだとしても元には戻れない。「救出」された後、立ち上がって帰り始めるのが早すぎた。

果たして、彼女はこの5日間の休暇で、少し自分のことを知ることができただろう。しかし、これからもこの家族を維持できるかは、より不透明になったはずだ。

エンディング、バスを降り霧の峠道を歩く群像は、みな似た問題を抱えて同時代を生きていることを示唆する、素晴らしいシーンだった。混迷と不安は常にある。でも一人じゃない。

(安田寿之)

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意地悪な映画だ。

ヴィヴァルディの四季「夏」という音楽は、ウォン・カーウァイ映画の暗い雲に覆われた香港の空にこそ似合う。平和なスキーリゾートの風景には合わない。いじわるな監督だ。

男のプライドをずたずたに切り裂くような告白を、ふつうは妻がネチネチと他人の前でしたりしない。少しは旦那を立てろよ。まったくもって、いじわるな監督だ。

父親はこどもたちの前で、幼児退行を起こし、大声で泣いたりしない。ブルース・ウィリスのようなダイハードな男じゃないんだがら、助けられないときだってある。現実は映画のようにはいかないんだ。いや、これも映画だった、いじわるな監督がつくった。

リューベン・オストルンド監督は、この次の作品「ザ・スクエア 思いやりの聖域」の方が好きだな。でも、監督のいじわるさは増長している。

(小沼一志)

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不可抗力免責

原題 "Force Majeure”というのは英文契約に必ず入っている「不可抗力免責条項」のことで、契約当事者の一方が、天災地変や戦争、暴動等、当事者の制御の及ばない事由(=不可抗力免責事由)により義務の履行ができない場合、その当事者は契約不履行の責を問われないというもの。

スキー場の屋外テラスのレストランで雪崩の直撃を受けて、ケータイを持って我先にとスタコラ逃げ出した父親。それを切っ掛けに妻の不信感がむくむくと沸き上がり、感情をむき出しにしていく。オトンは家族を守る義務は履行できなかったけど、そもそも雪崩は不可抗力免責事由なんだから多めに見てやれよって程度の話かと思ったら、そんな生易しいもんじゃなさそうだ。

雪崩は単なるトリガーにすぎなし。本当の不可抗力免責事由は、自分自身でも制御しきれなくなったオカンの感情の迸りだ。もしこれが、加齢という不可避の自然現象によりもたらされたものなら、なおさらだ。

オカンの迸る感情のはけ口は、オトンだけでなく周囲の者たちにも向けられ、同調者まで現れる始末。居心地の悪くなったオトコ連中は、こっそり隠れて集まってウォー!!!と叫ぶしかない。

最後の最後、これで丸く収まるかと思ったところで、またオカンがひと騒ぎ。これに同調して騒ぎ立てる同世代のオカンたち。巻き添えになって山道を歩いて降りる羽目になったオトンや子供たち。歩き疲れた子供を抱えたオトンに別のオトンがタバコを差し出す。そのやり取りに「おたくも大変ですな」という無言のメッセージが込められているようで笑ってしまった。

(石井裕)

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