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大人になって友達ってできた?SNSのフォローバックの間柄以外で?

友達が、ほしい。

山から降りてきた怪物みたいな願いを今年に入ってから考えている。
ちなみにサムネイルの画像はAI画像生成で「山から降りてきた悲しき怪物」と指示したものだ。こいつは悲しいのか…?
友達は数ではなく質ではあると思ってはいるものの、手持ちのカードは多いほうがいい。
加えて、いつも同じメンツは少し飽きを感じ始めた。

決して友達が少ない人生ではなかった。
学生時代は陽キャ街道の街灯のふもとあたりをキラキラ人間の邪魔にならないように歩いてきた。
陽キャでも陰キャでもない、なんでもない人の一人だった。

一旦今までの人生を軽く振り返るとともに、どこに友達ができない所以があるのかを探ってみる。


小学生の時は天真爛漫で、誰でも躊躇なく話をし、その日の放課後には一緒に遊ぶような社交性を持ち合わせていた。まだ大丈夫。

中学生になると社会性と思春期が一気に押し寄せ、そのタイミングで奇しくもロックに目覚めてしまい「暗い人間こそロックをやるべき」が「ロックが好きなので暗い人間に」と思い根暗がものすごい勢いで加速したのを覚えている。ここか・・・?

高校生になるとトガリは加速し、さらにナンバーガールに出会うことでより自己世界に没入してしまい、「この良さをわからない人間とは到底付き合いはできない」と思ったり。ここかも。

大学生になるとトガッた思想は一旦収まる。
何を血迷ったか自宅からアホほど遠い陽キャモリモリ大学に進学した。授業で飛び交うキラキラ空気に窒息しそうになった僕は、安息地を求め陽キャコミュニティに馴染めない人間ばかりが集まった軽音サークルに入った。音楽を聴き、覚えたてのタバコをふかして四年間はあっという間に過ぎさった。

社会人になると接客業の経験もあってか飲み屋で話しかけられても気さくに対応できるようになったが脊髄反射で仕事モードの反応をしてしまうので、他人ウケはいいものの時分の記憶に一切残らない。
加えて、仕事をしたような感覚に陥るのであまりいい印象はない。


青年期に発達した己にふさぎ込んで他人を受け付けない素養が、年月をかけて成熟していき、トドメの営業職で完全に蓋をした。
人間関係詰み将棋。藤井聡太もキシキシ笑ってる気がする。

とはいえ、今現在新しい交友関係を作れるチャンスは飲み屋しかないので、ちゃんと心を開いて会話するように努めている。鬼トガリアンドロイドにも一介の感情は備わっている。
求心力のある人間は魅力的だなあと思い、芸能人で友だちが多い人って誰だろうと考えたときにふとスピードワゴンの小沢が出てきてなんとも言えない気持ちになった。
花見で隣りにいた大学生とも飲んだことがあるらしい。それくらい隙のある大人でありたい。



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